人気ロックバンド・Suchmos(サチモス) のグルーヴを支え続けたベーシスト、HSU(エス・ユー)こと小杉隼太さん。
彼が突然この世を去ったというニュースが流れたのは、2021年10月15日のことでした。
惜しまれつつ32歳という若さでこの世を去った彼。ファンの間では未だに「なぜ…?」という声が絶えません。
今回は、死因・プロフィール・学歴・音楽キャリア・結婚や子供の存在まで、現時点で明らかになっている情報と共に、彼の人生をたどります。
◆ HSU(小杉隼太)のプロフィール ─ 知っておきたい素顔
名前:小杉 隼太(こすぎ はやた)
愛称・アーティスト名:HSU(エス・ユー)
生年月日:1989年6月29日
出身地:神奈川県横浜市
担当:ベース、コーラス、作詞・作曲
バンド内では、重低音で楽曲を支えるだけでなく、作詞・作曲面でも重要な存在だったHSU。Suchmosのヒット曲「Miree」の作詞を手掛けたのも彼です。
幼少期からスティービー・ワンダーやジャミロクワイを聴いて育ち、音楽に魅了された少年時代。
最初はギターを学び、15歳でベースへと転向。
高校時代には早くもその才能が開花し、バンド「IVORY」でプロ契約を結ぶほどの実力者でした。
◆ 学歴と音楽修行の日々
高校は多摩大学目黒高等学校を卒業。
その後、洗足学園音楽大学ジャズ科へ進学しました。
とはいえ、彼の学生生活は「教室より現場」タイプ。
授業よりもセッション現場に足を運び、プロ・アマ問わずミュージシャンたちと音を重ね続けたのです。
その実践的な姿勢こそが、のちのSuchmosサウンドを作り出す下地になったと言われています。
◆ 経歴 ─ バンドマンから音楽界のキーパーソンへ
2013年、横浜で結成されたSuchmosに加入。
もともとはジャズ・ヒップホップ系の**SANABAGUN.**とも掛け持ちし、多方面で活躍していました。
Suchmosでは、2015年のデビュー以降、
- 「STAY TUNE」
- 「MINT」
- NHKサッカーワールドカップテーマソング「VOLT-AGE」
と次々と話題作をリリース。2018年には紅白歌合戦初出場という快挙も果たしました。
また、HSUは単なるバンドメンバーにとどまらず、Vaundyや小袋成彬、マハラージャンなどのサポートミュージシャンとしても高く評価されていました。
「縁の下の力持ち」でありながら、音楽業界の中心で信頼されていた存在だったのです。
◆ 死因は?── 未だ明かされぬ“真実”
気になるのが、突然の訃報の原因。
2019年、体調不良で検査を受け、腫瘍が見つかり摘出手術を受けたことが公表されています。
所属事務所は当時「手術は成功し、快方に向かっている」とコメントしていました。
しかし、その後の詳細は伏せられ、2021年10月15日に32歳で死去が公式発表。
死因や亡くなった日時は明かされていません。
SNS上では「病気の再発か」「自死ではないか」といった憶測が飛び交いましたが、どれも公式な情報ではなく、現在も事実は不明です。
そんな中、2025年6月の復活ライブで、ボーカルのYONCEは
「失った人は帰ってこない、この4年で嫌というほど理解した」
と語り、改めて隼太さんの不在の現実と向き合っていることを明かしました。
◆ 結婚相手と子供 ─ 支え合った家族の存在
小杉隼太さんは、2017年~2018年頃に一般女性と結婚していたことが確認されています。
さらに、2018年には第一子の誕生をSNSで報告。幸せな家庭を築いていた様子が垣間見えます。
Suchmos復活ライブでは、YONCEが
「彼には2人の息子がいる。彼らのおもちゃ代を稼ぐのは、俺たちの仕事」
と語り、子供は少なくとも2人いることが新たに明かされました。
わずか32歳という若さで旅立った隼太さんですが、愛する家族を残し、その音楽と絆は今も生き続けています。
◆ まとめ ─ 音楽と家族、そしてこれから
Suchmosのグルーヴの要として、音楽シーンに大きな足跡を残したHSU・小杉隼太さん。
その人生は短くも濃密で、愛と音楽に満ちたものでした。
- ベーシストとしてだけでなく、作曲家・サポートミュージシャンとしても活躍
- 一般女性と結婚し、2人の子供の父親
- 死因は未公表。2019年に腫瘍手術を受けたが、詳細は謎のまま
彼が残した音と想いは、Suchmosの再始動、そしてこれからの活動に受け継がれていきます。
「変な人同士、仲良くしよう」と語ったYONCEの言葉の通り、音楽を愛する全ての人にとって、HSUの存在はこれからも色あせることはありません。
隼太さん、安らかに。そしてありがとう。
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