「この男が動くと、必ず世界がちょっとだけ面白くなる」──
そう言われ続けているTHOGO(トーゴー)。音楽業界、格闘技イベント、映像制作、ゆるキャラ企画、飲食プロデュース…まるで「百花繚乱」のごとく、多彩な領域で次々と新しいエンタメを生み出し続けてきた。
だが彼の人生は決して順風満帆ではなかった。何度も壁にぶつかり、もがき、傷つきながらも、絶えず自分の「熱狂」を追い求めてきた。この記事では、THOGOの生い立ちから現在まで、ドラマティックにその半生を追う。
■ 幼少期――田舎の少年がギターと出会った瞬間
1976年、山梨県中央市ののどかな町で生まれたTHOGO。彼の青春は一言で表せば「音楽に夢中」だった。14歳のとき、X JAPANの映像を見て衝撃を受け、すぐにギターを手に取った。
「その瞬間から、俺の人生は変わった。ギターを弾いてるときだけは、どんな悩みも吹っ飛んだんだ」
学校では優等生だったが、心の底では「ステージに立ちたい」という強い願望が燻っていた。文化祭で自分たちのバンドを披露し、観客の熱狂に包まれたあの瞬間は今でも宝物だ。
■ 18歳で上京、ヴィジュアル系ボーカリストとしての挑戦
高校卒業後、彼は迷わず上京。ヴィジュアル系バンド「DEFLOWER」のボーカルに抜擢され、華やかな世界に飛び込んだ。キラキラした衣装、激しいライブ、そして音楽業界の裏側を知る日々。
しかし、その実態は決して甘くなかった。資金は底をつき、食事はファンからの差し入れのカップ麺だけ。精神的にも追い詰められ、「もうやめたい」と本気で思ったこともあった。
「東京の夜は、孤独と戦う戦場だった。ステージの上は輝いてても、楽屋は真っ暗だった」
■ どん底からの復活――プロデューサーとして新たな人生へ
1998年、音楽から一度離れた彼は、タクシー運転手やコンビニ店員などの“普通の仕事”を転々としながら、生きる意味を探し続けた。
そんな中、2004年にティアーズ音楽事務所と出会い、再び音楽業界へ戻る。プロデューサーとして活動を開始し、映画『ATTITUDE』の企画や、90年代V系のレジェンドたちをまとめあげる手腕を発揮した。
この時期に、表舞台のスターから“舞台裏の仕掛け人”へと役割が変わり、THOGOの真骨頂が発揮されていく。
■ イベントの魔術師――1000本以上の舞台を創り出す男
「俺が作るイベントは、全部俺の子どもみたいなもんだ」
音楽ライブから格闘技、コスプレイベント、トークショーまで、彼の手掛けたイベントは多種多様。なかでも「CPEキャットファイト」という女性プロレスイベントは、最初は理解されず異端扱いされたが、今や唯一無二の文化として確立している。
「リングに上がる女の子たちの熱さ、覚悟はマジで感動的だ。だから俺は必死になって伝え続ける」
■ 小向美奈子との運命的な出会いと結婚
2021年、彼は元グラビアアイドルであり、タレントとして波乱の人生を歩んできた小向美奈子とバンド「平成スライム」で共演。お互いに過去の傷を抱えながらも、その不器用な生き様に強く惹かれあった。
「言葉にしなくても分かり合える瞬間があった。彼女も俺も“ボロボロ”だったから、自然に支え合えた」
2025年2月、彼女がSNSで結婚を発表。共に支え合いながら、さらなる未来を見据えている。
■ 多彩なクリエイティブ――映像、飲食、ゆるキャラまで
音楽とイベントの枠に留まらず、映像制作や飲食店プロデュース、さらにはサンリオのハローキティや手塚プロのブラックジャックとのコラボ企画も手掛ける。
「ジャンルは関係ない。人の“熱狂”を生むものなら、何だってやる」
彼のこの言葉が示すように、THOGOのクリエイティビティは限界知らずだ。
■ 未来への挑戦――THOGO塾と秘密基地から発信する熱量
「夢を叶えたいなら、覚悟を持て」
若手クリエイターの育成を目的に開いた『THOGO塾』では、現場の厳しさと同時に“夢を追う喜び”を伝えている。
さらに、自身が運営する配信スタジオ「秘密基地」からは、日々新たなカルチャーとクリエイターが生まれている。
■ 終わりなき物語
THOGOの人生は、波乱に満ちている。だが、彼が輝き続ける理由は単純だ。
「俺はまだ始まったばかり。これからも誰も見たことない景色を見せてやる」
不器用で熱い男の言葉が胸に響く。彼の物語はこれからも続く。追いかける価値がある。
THOGOの壮大なドラマは、まさに“生き様そのもの”。彼が動けば、必ずそこに熱狂が生まれる。あなたもぜひ、その目撃者になってほしい。
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