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嵜本晋輔:なんぼや社長の経歴:学歴!小学校・中学校・高校・大学はどこ?

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プロフィール:細身のMFが挑んだ二つの“プロの世界”

1982年4月14日、大阪府堺市生まれの嵜本晋輔。身長179cm、66kgとサッカー選手としては華奢な体格だった。ミッドフィルダーとして、右足を武器にJリーグ・ガンバ大阪でプレーを始めるも、公式リーグ戦はたった2試合。輝けなかったフィールドから去り、次に選んだのは経営者としての“勝負の場”だった。

今では、東証マザーズに上場するバリュエンスホールディングス株式会社の代表取締役として、ブランド品リユース業界を席巻。さらに社会人サッカークラブ・南葛SCの取締役も務めるなど、サッカー界とビジネス界をまたぐ異色の存在となっている。


🎓 学歴:夢の入り口、関西大学第一高校サッカー部

彼のサッカー人生は大阪市立白鷺中学校からスタート。高校は関西大学第一高等学校に進学し、1998年から2000年までサッカー部で腕を磨いた。ここでの活躍は光り輝き、1年生の時からガンバ大阪のスカウトが視察に訪れるほどだった。

「ここからプロへ」という希望に胸膨らませた高校時代。だが大学には進学せず、サッカー一筋でプロの世界へ飛び込む決断を下す。夢にまっすぐだった彼の青春は、ここから試練の連続となっていく。


⚽ 経歴:夢破れ、なお燃え続けた心

1. プロサッカー選手としての挫折

2001年、ついにガンバ大阪のトップチームに昇格。しかし、現実は厳しかった。華奢な体格は強靭なJリーグの世界に飲み込まれ、公式リーグ戦出場はわずか2試合。監督からの信頼も得られず、次第にベンチを温める日々が続いた。

迎えた2003年シーズン終了後、21歳で戦力外通告。夢に破れた現実は、彼を深い闇に突き落とした。「なぜ自分はここで終わってしまったのか?」。誰もが味わう挫折の中、彼は自問自答を繰り返した。

退団を決めた時、彼はこう言った――
「客観的に見て自分は通用しなかった。でも、諦めきれなくてダラダラ続けるよりも、自分を冷静に見つめ直そう」。その冷静さが、次の挑戦の原動力となる。

2004年には佐川急便大阪SCへ移籍しJFLでプレー。しかし現役引退の決断は早く、同年にサッカーの世界から姿を消す。


2. サッカーだけじゃない!ビジネスという新たな戦場へ

嵜本の“第二の人生”は、家族のリサイクルショップから始まった。元々実家は大阪・堺市で古物商を営んでおり、彼もプレーしながらブランド品のリユース事業に関わっていた。

2004年5月、自身の会社「MKSコーポレーション」を設立し、大阪・難波にブランド品リユース専門店「ナンバdeなんぼ屋」をオープン。店は瞬く間に評判となり、経営手腕を発揮。細身の元プロ選手が見せる、まさかの商才だった。

「ビジネスはサッカーと違い、己の頭と努力が結果を左右する世界」。失敗しても自分が責任を取るその潔さが、次々に新たな事業を生み出す源になった。

2008年には洋菓子店「パティスリー ブラザーズ」を阪神本線・西宮駅前に出店。これが後のチーズタルト専門店「PABLO」の前身となり、大ヒットを記録した。

2011年11月には株式会社SOU(現バリュエンスホールディングス)を設立し、ブランドリユース事業を全国へ、そして海外へ展開。彼の挑戦は止まらない。


3. 栄光の頂点:Jリーグ元選手初の上場企業社長

2018年、彼の会社は東証マザーズに新規上場を果たす。Jリーグの元選手が上場企業の社長になるという、前代未聞の快挙だ。

ここに至るまでの道のりは決して平坦ではなかった。元プロ選手という肩書きはビジネス社会で時に偏見の壁となったが、それを跳ね返す強い意志と努力で乗り越えた。

さらに、かつてのホーム・ガンバ大阪と再び手を結び、チャリティーオークションやスタジアム支援、OB会設立など地域とサッカー界に恩返しを続ける。

2021年には東京都葛飾区を拠点に活動する社会人サッカークラブ・南葛SCの取締役に就任。かつてのライバル選手を引き入れ、Jリーグ昇格を目指す新たな挑戦にも挑んでいる。


💡 嵜本晋輔が教えてくれた、人生の真理

この男の物語が語りかけるのは、こうだ――

「挫折は終わりじゃない。そこで止まるか、走り続けるかの違いだけだ」。

プロで通用しなかった自分に絶望した彼が、ビジネスで成功し、今度は自分の経験を生かしサッカー界へ還元する。
これは単なる成功譚ではない。挑戦し続ける勇気の物語だ。

そして、どんなに夢が壊れても、人生に“第二のフィールド”は必ずある。
嵜本晋輔の人生は、夢を諦めた全ての人に向けた、最高のエールだ。

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