~北海道の少年が、なぜ大企業を蹴って道を切り拓いたのか~
プロフィール
- 氏名:田中 剛(たなか つよし)
- 生年月日:1965年5月12日
- 出身地:北海道
- 最終学歴:日本大学理工学部(中退)
- 主な経歴:不動産会社勤務を経て、1992年に株式会社レーサム設立。2001年JSDAQ上場。2018年に会長、2021年に退任。
- 人物像:「世直し太郎」を自称する熱血系起業家。
「安定を求めるな、熱を持て」
そんな言葉がピタリとハマる男がいる――田中剛。その名は不動産業界に燦然と輝くが、彼の人生は“波乱万丈”という言葉すら生ぬるい。
今ここに、彼の人生の軌跡を、幼少期から追ってみよう。
【第1章】極寒の北の大地で生まれた“挑戦の芽”
――幼少期〜小学校時代
1965年5月、北海道で田中剛はこの世に生を受けた。彼の原点は、文字通り「大自然」だった。
少年時代の田中は、誰よりも好奇心旺盛で、「なんで?どうして?」を連発する“質問の塊”のような子どもだったという。凍る川に手を突っ込んで魚を捕まえたり、氷の結晶を虫眼鏡で覗いたり、周囲の大人たちは「変わった子だなあ」と感じていたという。
地元小学校では、担任の先生が「授業のあとに一人だけ残って、自分で“ビジネスごっこ”をしてた」と振り返る。どうやら、ただの子どもではなかったようだ。
【第2章】やがて芽生えた“経済”への興味
――中学〜高校時代
具体的な学校名は明かされていないが、田中は地元・北海道の公立中学と高校に通っていた可能性が高い。
この頃の彼は、すでに普通ではなかった。部活動に熱中するクラスメートを横目に、彼は図書室で経済紙や企業のIR資料を読み漁っていたという。
高校時代のあだ名はなんと「社長」。“小遣い帳”ではなく“月次レポート”を作っていたという逸話が残っている。
友人いわく、「彼のノートには“将来の資産運用計画”とか書かれてた。正直、意味わからなかったけど、なんかすごいと思った」。
【第3章】理工学部に進学するも、“レール”に違和感
――大学時代:日本大学理工学部
高校卒業後、田中は日本大学理工学部に進学。堅実な進路選択だが、彼の中には次第に違和感が芽生え始めていた。
大学では研究に没頭し、優秀な成績を収めていた。大手企業の研究職としての内定も獲得していたが、それでも彼の心は晴れなかった。
「研究の世界は尊い。でも、自分の居場所はここじゃない。もっと“人の熱”がうごめく場所に行きたい」
そう思い至った彼は、周囲の驚きをよそに、内定を辞退し、大学を中退。不動産業界へ飛び込む。
ここから、田中剛という人物の「本編」が始まる。
【第4章】20代で年収数千万円。だが、彼はそれに酔わなかった
――不動産営業マン時代
1988年、田中は都内の不動産会社に入社。そこで彼は“異次元の営業マン”として名を馳せる。
・トップ営業に昇格
・月間契約件数で全国記録を更新
・20代で年収数千万円を超える
誰もが羨むポジションに立った彼だが、ここでも彼は満足しなかった。
「このまま“売るだけの人”で終わりたくない。仕組みを作る側に回りたい」
そんな野心を抱きながら、彼は密かに起業計画を練り始める。
【第5章】レーサム設立――“不動産に命を吹き込む”事業モデル誕生
――1992年、27歳の挑戦
1992年、田中剛は27歳で株式会社レーサムリサーチ(のちのレーサム)を設立。
彼が掲げた理念は、「不動産の再生」だった。ただ売るのではない。価値を見抜き、磨き上げ、投資家に届ける――そんな“ストーリーのある不動産ビジネス”を構築していった。
1995年には初の収益不動産再生プロジェクトが大成功。わずか6年後の2001年にはJSDAQへの上場を果たす。
「たった9年で売上100億」
これは単なる数字ではない。田中が“世の中を変える武器”として不動産を選び、実際にそれを“現実”に変えた証だった。
【第6章】転機と挑戦――会長職、そして辞任へ
――2010年代〜現在
2010年代、レーサムはさらなる多角化に乗り出す。
- 海外不動産ファンドの運営
- グローバル債権回収会社の買収
- 地域再生型プロジェクトへの参画
その一方で、田中自身は2018年に代表権を手放し、取締役会長に退く。そして2021年、健康上の理由でレーサムを正式に退任。
「僕がいなくても、この仕組みは回る。そういう会社にしたかった」
彼の視線の先にあったのは、創業者の「卒業」という美学だったのかもしれない。
【第7章】家族構成――“世直し太郎”としての父親像
ビジネス界での辣腕ぶりからは想像しづらいが、田中剛は「家族思いの父」としても知られる。
あるインタビューではこんな発言を残している。
「子どもに『仕事って何してるの?』と聞かれてね。僕は“世直し太郎”って答えてる(笑)」
家庭での彼は、子どもにビジネスの話をするというよりも、「社会にどう貢献するか」という価値観を伝えているという。
また、教育にも熱心で、子どもの読書習慣を大切にしているとされる。将来、田中の意志を継ぐ人物が現れる日も遠くないかもしれない。
【エピローグ】田中剛という“現場主義の理想主義者”
田中剛の人生は、常に「今ある正解」に満足しない連続だった。
・大企業内定 → 辞退
・大学在籍 → 中退
・不動産業界トップ → 起業
そのすべては、「誰かがやらなければ、オレがやる」という信念に裏打ちされていた。
彼が歩んできたのは、“お金儲け”の物語ではない。
それは、“経済の力で世の中をちょっとだけマシにする”ための挑戦だった。
締めの一言:
令和の時代にこそ、田中剛のような“覚悟のある起業家”が求められているのではないだろうか。
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