2025年5月、東京体育館を埋め尽くす1万人の観客の前に現れたのは、X JAPANのギタリストPATA。
だがその姿は、いつもと違っていた。彼は車いすに乗ってステージへと登場したのだ。
それでも、ギターは背負い、右手を高く上げてファンにガッツポーズ。変わらぬロック魂に会場は沸き立った。
とはいえ、ファンとしては気が気じゃない。「なぜPATAは車いすに?」「何が起きているの?」
この問いの答えを、彼の過去・現在・そして音楽人生を交えて深く考察していこう。
【1】突然の報告…SNSで明かされた足の不調
2025年4月29日、PATAは自身の公式X(旧Twitter)でこう投稿した。
「以前より患っていた足の患部の不調により経過観察中のため、ライブは車いすで参加します。」
多くのファンにとって、これが初めての「異変」の知らせだった。
長年ステージで動き回っていたPATAが、車いすでパフォーマンスすることを選んだ。そこには相当の理由があるはずだ。
【2】具体的にどんな病気なの?過去の病歴から見る“身体の危機”
PATAが今回車いすを使用した「足の不調」。これは明言はされていないものの、彼の過去の病歴が深く関係している可能性があります。
● 2016年:命に関わる重病を経験
2016年、PATAは重度の腸閉塞と門脈血栓症(もんみゃくけっせんしょう)を発症し、緊急入院。なんと敗血症の一歩手前という危機的状況にまで陥り、一時は生死をさまよう事態に。
この病気は一命を取りとめたものの、長期の療養と全身の機能への負担を強いられました。特に門脈血栓症は、肝臓と循環系に強く影響を及ぼすもので、血流の異常から足や下半身にむくみ・だるさ・痛みなどの後遺症を残すことがあります。
つまり、今回の「足の患部の不調」は、この時の後遺症や体内循環の不安定さと関係している可能性が高いのです。
【3】ギター人生による肉体的酷使の蓄積
PATAは1989年からX(現X JAPAN)に正式加入して以降、40年近くもステージの第一線で活動してきました。
ド派手なビジュアルとともに、ギターをかき鳴らす姿はファンにとって“象徴”そのもの。
だがその一方で、ライブやツアーでの長時間パフォーマンスは、想像を絶する肉体的負荷を与えてきたはずです。
- 長時間立ちっぱなしの演奏
- ステージ上でのジャンプや激しい動き
- ツアー移動による睡眠不足と過労
これらが長年にわたって続けば、関節・神経・筋肉の慢性的な疲労が起きるのは当然。
足の痛みや機能障害、神経系の炎症などが起きても不思議ではありません。
【4】年齢という現実と、アーティストとしての矜持
PATAは1965年生まれ、今年で59歳。
体力の衰えはもちろん、若い頃は感じなかった「慢性的な不調」が出やすい年齢です。
ギタリストという職業柄、ライブ中に姿勢を崩せないことも多く、足元の痛みや神経障害が悪化しやすい環境にあります。
特に、ステージ上で“立ち続ける”という行為はアーティストの誇りでもあり、同時に身体への試練。
彼が車いすを選んだことは、その誇りを損なうどころか、むしろ現実を受け入れた上でのプロとしての決断なのです。
【5】hideのため、ファンのため、“歩けなくても弾く”覚悟
今回の「hide with Spread Beaver」ライブは、hideの28回忌という特別な節目。
かつて同じステージを共にした親友であり音楽仲間であるhideに対する、最大の敬意を込めた舞台だったはずです。
「足が痛いから、出ない」なんてPATAの選択肢にはなかった。
だからこそ、彼は車いすという手段を選び、hideとファンへの約束を果たしたのです。
自分の身体を守りながらも、ギターで想いを届ける。その選択に、誰もが胸を打たれました。
【6】“止まらない音楽”を支えるPATAの意志
今回の車いす出演で、PATAが証明したのはただ一つ。
**「音楽は止まらない」**ということ。
歩けなくても、立てなくても、PATAは“鳴らす”ことをやめなかった。
そこには、ロックスターとしてのプライド、ファンへの感謝、hideへのリスペクト…すべてが詰まっていました。
彼のような生き様こそが、今の時代に必要な“リアルなロック”なのかもしれません。
【まとめ】車いすでロックしたPATAの「生き様」は、今なお前進している
PATAの車いす登場は、衰えや限界を見せるためのものではなく、“続ける勇気”の表明でした。
過去の病、加齢、痛み──どんな現実も、彼のギターを止めることはできなかった。
それは、彼が本当に“音楽と共に生きている”証拠。
ファンにとっては、あの車いす姿こそが「ロックスター・PATA」の現在地であり、彼がなおギターで未来を切り拓こうとしている姿そのものでした。
立てなくても、魂は立ち上がっている。
それが、PATAというギタリストの“今”であり、“これから”なのです。
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