「まさか、あの白鵬が…?」
そんな思いが、多くの相撲ファンの胸をよぎったことでしょう。
令和の大横綱・白鵬、現在は宮城野親方として活動していた彼が、日本相撲協会に退職届を提出したという衝撃のニュース。協会はまだ受理しておらず、6月2日の臨時理事会で対応を協議する予定とされていますが…関係者の証言をたどる限り、本人の退職の意思は極めて固いようです。
ここでは、「なぜ白鵬は相撲界を去るのか?」
その本当の理由を、少し深く掘り下げていきたいと思います。
■ きっかけは“暴行問題”と部屋の閉鎖…しかし、それは始まりに過ぎなかった
そもそも今回の退職劇の発端は、2023年春、宮城野部屋の弟子・北青鵬による暴行問題にまでさかのぼります。この責任を取る形で、宮城野部屋は閉鎖され、宮城野親方と弟子たちは伊勢ケ浜部屋に“預けられる”という異例の措置が取られました。
この「預けられる」という表現がすでに象徴的。
かつて土俵で絶対王者として君臨し、69回の優勝を誇った白鵬にとって、自分の部屋を失い、他人の庇護下に入るという立場は、あまりにも屈辱的だったはずです。
しかし彼は、黙って耐えました。
「相撲界に残る」という選択を、自ら貫こうとしたのです。
■ 現実は非情。立ちはだかる“序列”と“名跡”の壁
そうして1年が経過。部屋再興の目途は立たず、さらに状況を揺るがしたのが、伊勢ケ浜部屋の“師匠交代”です。
これまでの伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)が勇退し、その後を継ぐのは――なんと、照ノ富士親方(元横綱)。
ここで、胸に引っかかるものを覚えたのは白鵬本人だけでなく、多くの関係者も同じだったと言います。
なぜなら、白鵬と照ノ富士の間には、“実績格差”が歴然として存在するからです。
横綱在位も優勝回数も、比較にならないほど白鵬が上。にもかかわらず、名跡の継承順や協会内でのポジションによって、「格下」と見なしていた照ノ富士のもとで活動することを強いられる…。
“相撲界の論理”の前に、白鵬という男の矜持が、静かに、しかし確かに崩れていった瞬間でした。
■ 表では笑顔、裏では覚悟。セレモニーに水を差さぬ配慮
ちなみに、宮城野親方は直近の夏場所千秋楽のパーティーで「角界を離れるつもりはない」と語っていたという話も出ています。
しかし、これは“本音”ではなかったと見る向きが強い。
ちょうどその時期、大の里の横綱昇進セレモニーが控えており、自らの退職発表で水を差すことを避けた、というのが関係者の共通見解です。
本当はもう、心は決まっていたのでしょう。
■ 協会との関係、そして“静かな孤独”
白鵬は現役時代から、相撲協会とは微妙な距離を保ってきました。
「ガッツポーズ問題」や「物言いへの異議」など、時に協会の伝統や価値観に真っ向から挑んできた姿勢は、尊敬もされる一方で“煙たがられる存在”でもあったことは事実。
暴行問題の後、協会から手厚いサポートや明確な再建計画が提示された形跡もなく、親方としての立場はあいまいなまま放置されていたようにも見えます。
これは、白鵬にとって「自分は必要とされていない」というメッセージとして映ったのかもしれません。
そして静かに、孤独の中での決断が形になったのです。
■ 引退の先にあるもの――“相撲”以外のフィールドへ?
白鵬はビジネス感覚にも優れ、現役中から複数のプロジェクトを手がけてきたことで知られています。
モンゴルとの文化・スポーツ交流や、教育・経済活動にも関心を示してきた彼が、今後相撲界を離れたとしても、“次のステージ”に向けてすでに準備を進めている可能性もあるでしょう。
「土俵の外でこそ、自分のやりたいことができる」
そんな思いが、背中を押したとしても不思議ではありません。
■ 結論:それでも、白鵬は“白鵬”だった
今回の退職劇を通して浮かび上がるのは、変わらない白鵬の姿勢です。
どれだけ逆風が吹こうとも、プライドと信念を貫く。その姿勢は、現役時代と何一つ変わっていません。
静かに、だが確実に――
かつての絶対王者は、土俵を降りるという最後の勝負に出たのです。
相撲という世界に背を向けたのではなく、
自らの誇りに、まっすぐ向き合った結果の“卒業”。
その重みは、ファンにとっても簡単には受け止められないほど深いものです。
白鵬翔。彼が土俵を去っても、伝説は終わらない。
次に見せてくれる“横綱の姿”は、きっと土俵の外でまた輝くことでしょう。
コメント