俳優・宮川一朗太が5月13日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』に出演し、涙なくしては語れない家族の絆と、シングルファーザーとしての壮絶な日々を打ち明けました。番組で明かされたのは、元妻を自宅で看取ったという胸を打つエピソード。家族を支え、愛し続けた男の覚悟と苦悩、そして最後の時を迎えた元妻との“異例の別れ”が、視聴者の胸を強く打ちました。
■ 「優しい旦那さん」って言われても、家族のためにひたすら頑張ったシングルファーザー
宮川は30代で離婚し、長女と次女の2人の娘を引き取ってシングルファーザーとして育てました。芸能界という華やかな世界の裏で、彼の家族の支えはただひたすらに日々の生活をこなすことに費やされていったのです。
「娘たちが20歳になるまでは、離婚したことを公表しない」という約束を交わした彼は、誰にも頼れず一人で家事・育児・仕事をこなしていたというのです。
「スーパーで食材を大量に買うと、周囲から“優しい旦那さんですね”って言われたことがあって…笑うしかなかったですね」と振り返る宮川。あの頃の彼は、父親としても母親としても全力で家庭を支えながら、孤独を感じることが多かったのでしょう。それでも、娘たちに対する思いが強く、どんな困難にも耐え抜いてきたのです。
■ 次女の結婚、孫誕生――でもその喜びの陰で元妻の最期が迫っていた
時が経ち、次女が結婚し、2年前には待望の孫も誕生。それは彼にとって大きな喜びであり、また新しい家族とのつながりが生まれた瞬間でした。しかし、その一方で、宮川にとってつらい知らせも舞い込んできたのです――元妻が末期がんで余命がわずかだということ。
元妻は離婚後、南の地に移住していましたが、数年前にがんを患い手術を受けたものの、再発。手術から2年後には末期がんと診断され、その状態では治療が難しく、東京へ転院してきたというのです。
「何度かお見舞いに行ったけれど、彼女は“病院は嫌だ”と繰り返していた。病院ではもうどうしようもない、だから最期は自宅で過ごすべきだという考えが頭をよぎった」と語った宮川。
元妻の最期を看取るために、宮川が決断したのは、自分の自宅に迎え入れることでした。もちろん、その決断には多くの葛藤があったといいます。「再婚はしていないけれど、逡巡はあった」と話す宮川。しかし、長女の「私が約束する。私がお世話するから」という言葉で心が動かされ、最終的に元妻を自宅で看取ることを決意したのです。
■ 「私がお世話するから」――長女のひと言で動いた父の覚悟
その決断を下したのは、長女の強い一言でした。「私がお世話するから」という娘の言葉が、宮川にとってどれほど大きな支えとなったことでしょう。長女は介護用ベッドや酸素吸入機をレンタルし、宮川の自宅を元妻を迎える準備で整えました。まるで新しい生活が始まるような気配が漂っていた矢先――。
元妻は自宅に帰ると、静かにその翌日、息を引き取ったのです。
「元嫁との不思議な生活がこれから始まるのかな、と思った矢先でした。あれが最後だったんですね。」
■ 目を閉じる瞬間――家族として迎えた最期
元妻が旅立つその瞬間を看取ったのは、宮川と長女の2人だけでした。次女は間に合わず、その時にはまだ到着していなかったとのこと。しかし、宮川と長女は、元妻の最期を家族として共に見守り、愛する者を送り出したのです。
「病院じゃない景色を見て、彼女は安心したのかもしれません。きっと、“ここが最後の場所なんだ”って思えたのではないかと、長女と話しました」と語る宮川。その言葉からは、元妻に対する深い思いやりが感じられます。病院嫌いだった元妻が、自宅で静かに旅立ったことに、安堵の表情が浮かんだのかもしれません。
■ 元妻はフリーライターの山田佳奈子――その生き様に共鳴した人々
宮川一朗太の元妻は、実はフリーライターの山田佳奈子さん。彼女は、離婚後は南の地で生活をしていましたが、がんの再発後に東京へ転院してきました。山田さんはその生涯を、書くことを通して多くの人々に影響を与えた女性でもあります。宮川はその後も元妻を支え続け、最期を共に過ごすことを選びました。
山田さんがどんな人だったのか、詳しいことは明かされていませんが、宮川がその覚悟を決めた背景には、彼女に対する深い愛情と尊敬があったことは間違いありません。
■ 娘たちとの絆――「家族としての最後の時間」
宮川には2人の娘がいます。長女と次女。長女は父親と共に、元妻の最期を看取る準備を整え、次女はその時を間に合わず迎えられなかったものの、家族として最後の瞬間をともに過ごしたいという想いを抱えていたのでしょう。
次女が結婚し、孫も誕生する中、宮川はひとりで家族の支えとなり、育ててきました。最期を看取るその時に、2人の娘はそれぞれの立場で、父親と共に元妻を送り出しました。家族として、絆として、そして何よりも“命の尊さ”を深く実感したであろう瞬間だったに違いありません。
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