2025年6月27日――。日本のお菓子業界を長年牽引し、安倍晋三元首相の妻・昭恵夫人の父としても知られる松崎昭雄(まつざき あきお)氏が92歳で亡くなったことが明らかになりました。
その名前を聞けば、どこか穏やかで誠実な人柄が思い浮かぶ方も多いはず。しかし、その裏には、戦後の日本を象徴する激動の時代をたくましく生き抜いた、数々のドラマが隠されていました。
今回は、松崎氏の知られざる人生に迫りつつ、彼が残したものの大きさを改めて感じていただきたいと思います。
■ 戦前から令和まで 激動の時代を生き抜いた一人の男
松崎昭雄氏は1931年、東京の片隅で誕生。まだまだ混沌とした昭和の幕開け。
幼少期は戦争の影、終戦後は復興と成長、そして高度経済成長期へ──。この“波”を全身で受け止めながら成長した世代です。
進学した立教大学経済学部では、経済の仕組みを学び、社会に出る準備を進めました。
1955年、松崎氏は念願の森永製菓に入社。ここから彼の人生は大きく動き出します。
■ 運命の結婚で“森永ファミリー”の中心に
松崎氏の運命を大きく変えたのは、森永製菓の創業家に連なる女性との結婚。
妻の森永恵美子さんは、創業三代目社長の森永太平氏の次女。名門企業の血筋と縁戚関係を結ぶことで、松崎氏は社内での立場も急速に高まりました。
一族経営の中核として経営に携わるだけでなく、家族として森永の未来を背負う役割を担ったのです。
■ “日本中が震えた”グリコ・森永事件――リーダーとしての本領を発揮
1983年、満を持して森永製菓の社長に就任した松崎氏。しかし、その翌年、日本中を震撼させる「グリコ・森永事件」が勃発。
毒入り菓子や脅迫文を送り付けた犯人「かい人21面相」の挑発に、世間は混乱と恐怖に包まれました。
松崎社長は混乱の中、徹底した危機管理と迅速な対応で企業と消費者の安全を守り抜きました。
彼の決断と冷静さは、社員の命と企業の信頼を守る盾となったのです。
■ 14年間の長期政権 経営者としての矜持
1983年から1997年まで、長きにわたり社長として森永製菓を率いた松崎氏。
国内外での新規事業開拓、多角化戦略を推進し、お菓子の枠を超えた「食文化企業」としての地位を築きました。
また関連会社「レストラン森永」では食の多様化にも挑戦。
森永グループの成長と安定を支えた彼の功績は、まさに経営者としての矜持そのものでした。
■ 政界との強い結びつき 安倍家の義父として
松崎氏の娘、安倍昭恵さんは1990年に安倍晋三氏と結婚。
夫婦が政治の表舞台に立つ中で、松崎氏は政界との太いパイプを持つ義父として知られています。
森永製菓の経営だけでなく、政治や社会の大きな動きの中でも存在感を放っていました。
また、長男の松崎勲氏も現在、森永製菓の重要ポストを務め、一族経営の継承が続いています。
■ 死因は何だったのか?高齢者に多い病名から推測
92歳という長寿を全うした松崎氏ですが、死因についてはまだ正式な発表はありません。
しかし、医療関係者の視点や家族の話から推測されるのは、
- 老衰
- 誤嚥性肺炎(高齢者に多い、飲み込み機能の低下が原因の肺炎)
- 心不全や慢性疾患の悪化
これらのいずれか、または複数が重なり合った可能性が高いでしょう。
彼は晩年、穏やかな生活を送っていたと聞きます。突然の事故や事件ではなく、静かに人生の幕を閉じたと見られています。
■ 晩年も変わらぬ情熱で後進を支えた姿
松崎氏は現役引退後も森永製菓の相談役として、若い経営陣に熱い助言を送り続けました。
また、母校・立教大学の校友会会長として学生たちの未来にも熱心に関わり、支援活動に力を注ぎました。
まさに“静かなる巨人”として、最後の最後まで社会への責任を果たし続けたのです。
■ 松崎昭雄という存在が残した重み
戦後の激動、企業の危機、政界との関わり、家族との絆。
松崎昭雄氏の人生は、まさに日本の近代史の縮図とも言える波乱万丈の連続でした。
しかし、そのすべてを乗り越え、次の世代に受け継ぐべきものを確実に残したその姿は、多くの人々に勇気と誇りを与え続けるでしょう。
心から、ご冥福をお祈りいたします。
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