競馬って、速さ・美しさ・感動のすべてが詰まったエンタメですよね。けれど、そんな華やかな舞台の裏でときどき耳にする、あのショッキングなワード…
「骨折 → 安楽死」
「え、治してあげてよ…」「殺すなんてかわいそうすぎる!」そんなふうに思ったあなたにこそ、この記事を読んでほしいんです。そこには、ただ「お金のため」では片付けられない、命と向き合う深い事情があります。
1. そもそも馬の足、繊細すぎ問題
競走馬の代表格「サラブレッド」。めちゃくちゃ速く走るために、何世代もかけて品種改良されてきたスーパーアスリートです。でも、その代償として「骨、細っ!」ってレベルで繊細な脚を持つことに…。
彼らの足元、例えるなら“ガラスの脚”と言っても過言じゃない。たとえば時速60kmで走ってるときにちょっとでもバランスを崩したら…それだけでポッキリいっちゃうことも。
そして馬は、4本の脚全部を使って体重を分散して立っている動物。1本壊れただけで、あとの3本が地獄のように頑張らなきゃいけない。でも、そっちもすぐに壊れる。
しかも馬って、長時間横になることもできない。ずっと寝てたら内臓が圧迫されて命に関わる。つまり、「足が使えない」=「死に直結」ってことなんです。
2. 「治せばいい」は、実は甘くない…
人間の感覚で「骨折=ギプス&リハビリでなんとかなるでしょ?」と思いがち。でも馬にとっては、それがとんでもなく大変。
たとえば手術で骨に金属プレートを固定したとします。でもその後、数ヶ月間ほぼ動けない生活が必要。これ、馬にとってはものすごいストレスなんです。
ストレスで暴れたり、寝ることもできないから体調が悪化したり、最悪の場合「蹄葉炎(ていようえん)」っていう、激痛で馬を苦しめる病気になることも。
治療中ずーっと苦しい上に、完治の見込みが低かったら…?
「生きてる=幸せ」じゃないことだってあるんです。
3. 「安楽死はかわいそう!」という声に向き合う
ここ、たくさんの人が感じるところだと思います。
「せっかく生まれてきた命なのに」「人間の都合で殺すなんて残酷すぎる」
――確かに、感情としてその通りです。
だけど、「かわいそう」という思いだけでは救えない苦しみが、現実にはあります。
治療によって命をつなげたとしても、馬にとっては痛みが続き、思うように動けず、かつてのように走ることもできない毎日が続くかもしれない。
そんな中で、「この子の一生に責任を持つ」と覚悟した上で、苦しみを最小限に抑えるために安楽死を選ぶ人たちがいるんです。
これは「楽に殺す」という話ではありません。
「もう十分頑張ったよね」って、最期まで馬の目を見て寄り添う、苦渋の決断なんです。
4. お金の話も、ちょっとリアルに。
ちょっと現実的な話をさせてください。
競走馬って、1頭に数千万〜億単位の投資がされてます。しかもレースに出ることが前提。骨折して走れなくなると、残念ながら競走馬としての役目は終わり。
治療費だって、手術・入院・リハビリを入れると余裕で数百万円。治しても「もう走れない」ことのほうが多いのが現実。
じゃあ引退後はどうするの?というと、余生を過ごせる場所も足りていないのが現状です。
もちろん「じゃあお金の問題で殺すのか」って声があるのも分かります。けど現場では、「ただ生かす」ことよりも、「どう最期を迎えさせるか」を重視する人が多い。それくらい、**馬にとっての“幸せな死”**って、現実に根ざしたテーマなんです。
5. 命の“尊厳”を守るという選択肢
安楽死って、冷たくて残酷なイメージがあるかもしれません。
でも実はそれ、**馬がこれ以上苦しまないための“やさしさ”**でもあるんです。
私たち人間でも、終末医療の現場では「尊厳死」という選択がされることがありますよね。それと同じように、馬にも「痛みのない最期」を選ぶことが、愛情の形になることがある。
それは、人間のための決断じゃなくて、馬のための決断。
ちゃんと向き合った末に出す「さようなら」なんです。
6. でも、未来は変わってきている!
ここで少し希望の話を。
- 引退した馬たちを乗馬やホースセラピーに活用する「セカンドキャリア」の支援
- 事故を減らすための柔らかい馬場や、レース出走制限の見直し
- 引退馬を守るためのクラウドファンディングや保護団体の活動
こうした取り組みが、少しずつ広がっています。「走れなくなったら終わり」ではなく、「引退後の幸せ」も考える競馬へ。そんな未来が、今、着実に形になってきてるんです。
【まとめ】「かわいそう」で終わらせないでほしいから。
競走馬の安楽死。それは確かに、重くて、つらくて、簡単に受け入れられるものではありません。
でも、「かわいそう」と思ったあなたの優しさは、本物です。
だからこそ、その先にある現実と向き合う勇気も、持ってみてほしい。
走る姿に感動するのも、引退後の人生を応援するのも、すべては「馬の命をちゃんと考える」ことから始まるのかもしれませんね。
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