【プロフィール】
- 名前:栗永 遼(くりなが りょう)
- 生年月日:1995年(※推定)
- 出身地:香川県
- 出身校:四国学院大学香川西高校 → 日本体育大学(中退)
- 職業:プロキャディ
- 配偶者:淺井咲希(プロゴルファー)
- 子ども:男児1人(2023年誕生)
- 主な実績:ツアー優勝サポート2回(2019年、2022年)
一見控えめに見えるその風貌。しかし、フェアウェイの上では誰よりもアグレッシブに、冷静に、そして情熱的に選手を支える——そんなキャディが栗永遼さんです。彼がどんな少年時代を過ごし、どんな夢を抱き、どうやって現在のキャリアへとたどり着いたのか。紐解いていきましょう。
【小学校時代】“ゲーム”が導いたゴルフという運命
栗永遼さんのゴルフ人生は、なんと“テレビゲーム”から始まりました。
幼いころに夢中になったのは、人気ゴルフゲーム『みんなのゴルフ』。それはただの遊びでは終わりませんでした。ゲームでゴルフを知った彼は、自宅の庭に穴を掘り、即席のグリーンを作り、遊びながらスイングを学んでいたといいます。
そんな彼の姿を見て、「本物を見せてやろう」と祖父がプロの試合へ連れて行った日。それが、栗永少年とゴルフが本格的に結ばれた瞬間でした。
まだ小学生だった彼の胸に、「僕も、あのグリーンに立ちたい」という確かな夢が宿ったのです。
【中学校時代】“片山晋呉になりたい”——芽生えた本気の夢
中学生になると、栗永さんのゴルフは「遊び」から「競技」へ。
香川県内の中学校に通いながら、地元のゴルフクラブに通い詰める毎日。やがて、香川県アマチュア選手権で5位に入賞するほどの実力者へと成長していきました。
当時の目標は「片山晋呉のような選手になること」。彼のプレーを繰り返し録画で見ては、スイングを真似し、立ち振る舞いを研究し、自らのスタイルに落とし込んでいったのです。
地元では「ミスの少ない正確無比なゴルフ」を武器に、すでに“プロ候補”として一目置かれる存在になっていました。
【高校時代】ゴルフ強豪校で輝いた青春の日々
高校は、香川県にあるゴルフの強豪校、四国学院大学香川西高等学校に進学。ここで彼は、自分と同じ夢を持つ仲間たちと本気でしのぎを削る日々を送ります。
この頃の彼は、全国大会で12位、四国大会で3位と、実績でもその名を轟かせていました。
「プロになるのは当たり前だと思っていた」——それが周囲の共通認識。しかし、本人はそんな空気にも奢らず、毎日淡々と、丁寧に、1球1球を打ち込んでいたと言います。
彼にとってゴルフとは、結果よりも「自分との対話」。その精神性が、後のキャディとしての資質にもつながっていくのです。
【大学時代】崩れた夢と、拾い上げた“もうひとつの道”
そして迎えた大学生活。栗永さんが選んだのは、スポーツの名門・日本体育大学。
周囲からの期待は高まり、本人も「さあ、プロを目指すぞ」と意気込んでいた矢先、思いもよらぬ“壁”が立ちはだかります。
「ドライバーイップス」——ゴルファーにとって致命的ともいえるこの症状が、突然彼を襲ったのです。
「得意だったドライバーが、ある日から真っ直ぐ飛ばなくなった。打てば打つほど怖くなって、フェアウェイにすら届かなくなっていった」
イップスは技術の問題ではありません。心の問題です。
彼のゴルフは、静かに、しかし確実に崩れていきました。そして、やがて栗永さんは“プロゴルファーになる夢”を、自らの手でそっと閉じたのです。
しかし——そこで終わらないのが、彼という男の物語。
「自分の強みは何か?」「どうすればゴルフと共に生きていけるのか?」悩み抜いた末に辿り着いた答えが、「キャディになる」という新たな道でした。
【キャディとしての開花】声なき“主役”として
2019年、栗永さんはキャディとしてプロツアーにデビューします。
最初の相棒は、当時まだ若手だった淺井咲希プロ。このタッグが、なんとその年のうちに初優勝を果たすのです。
以降、栗永さんのキャディとしての評価は急上昇。2022年には尾関彩美悠プロの初優勝にも貢献し、キャディとしての“勝利請負人”の名を手にしました。
彼のキャディスタイルは「冷静」「論理的」、そして「選手を信じる心の強さ」。
自分がゴルフを愛し、苦しみ、そして乗り越えてきた男だからこそ、選手の痛みにも、焦りにも、希望にも寄り添える。
選手の背後で、静かに、しかし力強く支える——それが栗永遼というキャディの“強さ”です。
【家庭と未来】“ふたり三脚”で歩むゴルフ人生
そして、2023年。栗永さんは、かつて初優勝に導いた淺井咲希プロと結婚を発表します。
「勝利の喜びを共にした二人が、人生のパートナーに」
まさにドラマのような展開でした。同年6月には第一子となる男の子も誕生し、いまや“父”としての顔も持っています。
今後は、キャディとして、夫として、父として、三つの顔でゴルフ界に関わっていくことになります。
—
【まとめ】「夢の終わりは、始まりだった」
栗永遼さんの物語は、一見「プロを諦めた人」の物語かもしれません。
でも、実はその先にこそ、彼の本当の“才能”と“使命”があったのです。
夢を失っても、道は消えない。
むしろ、夢が変わったときこそ、人は本当の強さを手に入れるのかもしれません。
選手を支え、勝利を分かち合い、人生をともに歩む。
栗永遼という男のキャディ人生は、まだ始まったばかりです。
コメント