2025年5月4日、名古屋競輪のイベントステージに立った近藤龍徳(34)。その瞬間、ファンを驚かせた言葉が発せられた。
「引退します。」
誰もが驚いた。まだ若い、実力もある。競輪界のトップを走り続けてきた男が、なぜ今、このタイミングで?
その背後に隠された本当の理由を探るべく、近藤龍徳の競技人生を深く掘り下げてみる。
◆ 理由①:命懸けで走り続けた覚悟が崩れた瞬間
「死んでもいいと思って走っていた。でも、あの落車で覚悟が吹っ飛んだ」
この言葉が、彼の引退理由を象徴している。近藤龍徳の走りは、常に命懸けだった。
その覚悟こそが、彼をトップ選手へと押し上げ、ファンを魅了した原動力だった。しかし、2022年11月の防府G3での大きな落車――この事故が、彼の中の「死ぬ覚悟」をも変えてしまったのだ。
事故後、体は回復しても、心の中に残った恐怖や迷いは消えなかった。「命懸けで走る」という精神的な支えが崩れたとき、競技を続ける意味が見いだせなくなった。
彼はただ走り続けるために走っているのではない。命を賭ける覚悟があるからこそ、あのレースに意味があった。しかし、それを失った今、走る意味はどこにもなかった。
◆ 理由②:ケガと病気の影響が暗い影を落とした
近藤は「ごまかせば走れた」とも語っている。しかし、「ごまかしながら走ること」自体に、彼は納得ができなかった。
競輪は過酷なスポーツだ。年齢を重ねるごとに身体への負担は大きくなり、特に事故による後遺症は選手生活を長く続けるうえで重大な問題となる。近藤も、もちろんその例外ではない。
身体が完全に回復しても、心の中で感じる「限界」をどうすることもできない。以前のように「死んでもいい」とまで思えるほどの精神力を維持することは、もはや難しかったのだ。
体力や技術の衰えを認めることは、どんなアスリートにとっても大きな苦しみだろう。特に、肉体と精神のバランスを保ちながら戦ってきた近藤にとって、身体に不安があれば、もうあの全力疾走を続けることはできなかった。
◆ 理由③:結婚・私生活の変化が引き起こした「覚悟の変化」
競輪選手として全力で走り続けてきた近藤龍徳。しかし、彼が“家族を持つ”という選択肢を選んだ可能性も無視できない。
競技生活を続ける中で、自分一人の命を賭ける覚悟を持ち続けることは、簡単なことではない。特に結婚して家庭を持った場合、その覚悟は「誰かを守るために走る」という形に変わるだろう。
結婚という私生活の変化が、近藤の競技に対する「覚悟」を変えた可能性は高い。守るべきものができたとき、命懸けの走りを続けることは、どこかで自分を犠牲にすることにつながる。家族ができれば、無謀な走りを続けることはできなくなる。むしろ、その責任感が「走る意味」を見失わせたのかもしれない。
◆ 理由④:目標達成と燃え尽き症候群
近藤にとっての「夜王」の称号は、ただの目標ではなく、大きな夢だった。その夢が2015年、サマーナイトフェスティバルで叶った瞬間、彼の中に大きな満足感があったことだろう。
彼の競技人生の中で、最も輝かしい瞬間のひとつ。それこそが、「夜王」と呼ばれる瞬間だった。そしてそれが叶ったことで、「次に目指すべきもの」が見つからなくなった可能性もある。
トップ選手は、しばしば夢を実現した後に燃え尽き感を感じるものだ。次の目標が見つからない中で、無理に続けることはできない。競技者としての全力を注げなくなった彼は、引退という選択を取らざるを得なかったのかもしれない。
◆ 理由⑤:自分らしさを守りたかった
最後に彼が語った言葉――「それじゃ近藤龍徳じゃない」
近藤龍徳は、単なる競輪選手ではなかった。彼の走りには、どこか“信念”が感じられた。彼は「命を懸ける覚悟で走る」というスタイルを、何より大切にしていた。
そのスタイルが崩れたとき、彼は自分を見失うことを許さなかった。たとえ勝つことができても、妥協して走ることに意味を見出せなかった。
近藤龍徳にとって、競輪とはただの職業ではなく、「自分を表現する場所」だった。それを守るためには、引退を選ぶことが最良の選択だったのだろう。
【まとめ】「覚悟」を失ったとき、彼のレースは終わった
近藤龍徳の引退理由には、身体的な要因だけでなく、精神的な変化や私生活の変化が影響している。彼のような選手にとって「覚悟」を失うことは、すなわち競技を続ける意味を失うことに他ならない。
競技者として、そして人間としての強さと潔さが、引退という選択に繋がった。近藤の決断は決して後悔や投げ出しではない。むしろ、自分らしさを守り続けるための、美しい「引き際」であった。
これからも彼の精神や姿勢は、競輪界にとって大きな影響を与え続けるだろう。そして、ファンにとっては、その生き様が心に残り続けることだろう。
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