「はぁっ!?なんで俊介!?」
映画『国宝』を観た人の多くが、心の中でこう叫んだんじゃないでしょうか。
春江という女性――
彼女は物語の中で、おそらく最も誤解されやすい、そして最も深く描かれたキャラクターの一人です。
この考察では、「春江はなぜ喜久雄ではなく俊介を選んだのか?」という観客最大のモヤモヤに、正面から向き合ってみます。
第一章:中学生で刺青。彼女の“最初の覚悟”は本物だった
春江と喜久雄の関係は、物語序盤から強烈です。
中学生で背中に刺青を彫るという決断――しかも、恋人である喜久雄とお揃いで。
これは普通の家庭の少女ではあり得ない行動です。
長崎から大阪に出て、夜の仕事をしながら喜久雄を支えるその姿は、「命懸けの愛」そのものに映ります。
にも関わらず、物語中盤、春江は喜久雄のプロポーズを断り、最終的に俊介の妻となる。
その瞬間、多くの観客が一気に彼女の好感度を失ったはずです。
でも、本当に彼女は裏切ったんでしょうか?
第二章:俊介への“乗り換え”は裏切りか、戦略か?
まずは事実を整理しましょう。
- 春江は喜久雄のプロポーズを断る
- 俊介と結婚する
- しかし、最後まで喜久雄の芸を見守り続けた
この流れだけを見れば、「愛が冷めた」か「状況に流された」と思うかもしれません。
でも春江の行動はむしろ、“誰よりも冷静で、先を見ていた”と考えることもできるのです。
春江はおそらく、こう考えていたのではないでしょうか?
「喜久雄は、いつか“血”でつまずく。だから私が、彼を守れる立場に回るしかない」
つまり、彼女の俊介との結婚は、“戦略的な配置転換”だった。
自ら愛する男の妻にはならず、別の男の妻になることで、喜久雄を芸の世界で生かす“土壌”を作ろうとしたのではないかと。
第三章:血統主義という“壁”と、春江の現実主義
映画『国宝』の大きなテーマのひとつが、「血の呪縛」です。
喜久雄は血統のない歌舞伎役者。
どれほどの才能があっても、歌舞伎の伝統的な家系主義にはね返され、孤独な戦いを強いられます。
そんな中で春江が俊介を選んだ意味――それは単なる恋愛感情では測れません。
俊介は正統な歌舞伎の家系の人間。
その妻になることで、春江は“外”からではなく“中”から歌舞伎の世界にアクセスできる立場を手に入れた。
つまり、春江は自分の恋愛感情よりも、喜久雄の芸を生かすための“居場所作り”を選んだのです。
第四章:一見、冷たい。でも春江は誰よりも一途だった
春江のセリフが忘れられません。
「1番の特等席で、キクちゃんの芸を見せて」
喜久雄と結婚したいのではなく、喜久雄の芸の完成形を、一番近くで見守ることが彼女の願いだったのです。
結果的に、俊介の妻となったことで、春江はその約束をすべて守りました。
- 喜久雄が落ちぶれた時、再起の舞台を整えたのは春江
- 彼が再び歌舞伎の表舞台に立てたのは、彼女の働きかけがあったから
- ラストでは、“1番の特等席”から、喜久雄に拍手を送っていました
春江は“恋人”にはなれなかったかもしれない。
でも“最大の理解者”であり、“最強の支援者”であり続けたのです。
第五章:裏切り者か、最も愛した人か
俊介との結婚を裏切りと見るのは、たしかに自然です。
でも、それ以上に大きな「愛」が、彼女にはあった――それもまた事実でしょう。
恋に生きるのではなく、才能と未来に生きた春江。
あまりに賢く、あまりに強く、そして少しだけ哀しい女性でした。
結論:春江は、“最も強かで、最も一途な女”だった
春江は決して分かりやすいキャラクターではありません。
彼女の行動は、時に感情的に理解しにくく、観客にモヤモヤを残します。
でも、それこそが彼女の深さであり、人間らしさであり、
この映画を“ただの美談”に終わらせなかった理由でもあります。
喜久雄の芸を守るために、すべてを賭けた春江。
それは恋でもなく、支配でもなく、ただ芸のための愛だったのです。
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