沖縄の南の島、南城市。美しい海と緑豊かな自然が広がるこの地には、ただの政治家ではなく、“地域の心臓”のように機能する男がいる。
彼の名は 古謝景春(こじゃ けいしゅん)。
その歩みは、単なる役場職員から村長、そして南城市の初代市長へ。地域の未来を背負い続けた男の“物語”は、決して平坦なものではなかった。彼の人生には、挫折も、再生も、そして“誰よりも地域を愛する”強い信念が刻まれている。
さあ、沖縄の心に触れる旅に出よう。ここに綴るのは、古謝景春という男のリアルな軌跡だ。
幼少期――知念村で育った少年が胸に抱いた“海”と“村”への愛
1955年、沖縄県島尻郡知念村。ここに生まれた古謝少年は、地元の小さな漁村でのびのびと育った。
「外の世界はどんなものか…けれど、故郷の海も僕には何より大切だった」
彼の目に映ったのは、穏やかな海の青と村の人々の温かい笑顔。そこには、大都市とは違う“ゆっくりとした時間”が流れていた。
地元の知念小学校、知念中学校を卒業し、沖縄水産高校に進学。漁業や海の知識を深めることで、故郷の自然を守ることへの関心が高まっていった。
だが、彼の夢は「ただの漁師」では終わらなかった。
「村の人たちの暮らしを良くしたい。自分にしかできないことがあるはずだ」
そうして彼は、社会の荒波に飛び込むことを決意する。
若き社会人時代――民間企業で磨かれた“現場力”
高校卒業後、古謝氏はまず民間企業へ。そこでの5年間は、まさに“社会の教室”。
新入社員としての戸惑い、厳しいノルマ、同僚とのぶつかり合い…。
「会社の歯車になりたくなかった。でも、そこで得た経験は今の自分の基盤だ」
この時期に学んだのは「組織の中でどう動くか」「責任とは何か」。そして「自分の力で人を支える仕事がしたい」という強い意志だった。
この思いが彼を行政の世界へと誘った。
知念村役場――19年9ヶ月、村を知り尽くすために
1979年、古謝氏は知念村役場に入庁。総務、福祉、産業、企画財政部門を渡り歩きながら、村の実情に深く入り込んでいく。
「役場は単なる書類の山じゃない。そこには人の暮らしがある」
産業課参事、企画財政課長のポジションでは、厳しい予算の中で如何に村の発展を促すかを常に考え続けた。
特に、沖縄の地方自治体ならではの財政難に直面し、苦心惨憺の毎日。
しかし彼の「地元を何とかする」という情熱は、役場内で徐々に評価されていく。
「いつか自分が、この村を引っ張る立場になりたい」
そんな夢を抱きながら、一歩一歩着実にキャリアを積んでいった。
知念村長誕生――47歳、地域と共に歩むリーダーの誕生
2002年、古謝氏は47歳で知念村長に当選。村のトップとして初めての大役を担った。
任期中は、地域の伝統と未来のバランスを大切にしながら、インフラ整備や福祉の充実を推進。
しかし同時に、地域合併の波が押し寄せていた。
「このまま村単独で生き残るのは難しい」
佐敷町、大里村、玉城村と合併し、新たな自治体“南城市”を作る――その大きな決断を迫られることに。
彼は村民と真摯に対話を繰り返し、時には厳しい議論も交わしながら、合併を推し進めていった。
南城市の初代市長――荒波の中で見せた強靭なリーダーシップ
2006年、南城市誕生。初代市長となった古謝氏は、新しい市の舵取り役に就く。
合併による行政の混乱、住民の不安…。
だが、彼はこう言った。
「私たちは、未来を共に作るチームだ」
自転車で市内を回りながら、現場で市民の声を聞き、対話を重視。
「役所の机に座っていても、町は変わらない」
そんな信念のもと、福祉拡充、教育環境の整備、観光振興と幅広い政策を展開。
特に観光振興では、自然の魅力を活かした“癒しの観光地”として南城市を全国区に押し上げることに成功。
彼の市長としての12年間は、挑戦の連続だったが、多くの実績を残した。
挫折と復活――2018年退任、そして2022年の再挑戦
2018年、市長を退任。
「一区切りつける時が来た」
と語った古謝氏だが、市政から離れた4年間は、彼にとって静かな戦いの時期でもあった。
地域の課題は山積み。コロナ禍で市民の不安が増す中、彼の存在を求める声は日に日に強まっていく。
そして2022年、再び市長選に挑み、見事当選。
「やり残したことがある」
そう語るその瞳には、あの頃よりも強い覚悟が宿っていた。
家族の物語――スポーツと教育に捧げた次男の姿
古謝氏は3人の子どもの父でもある。
なかでも次男の景義氏は、九州電力の野球部で12年間プレー。
その後は監督としてチームを率い、スポーツ解説者としても活躍している。
「父は厳しくも温かい。背中で示す教育者だ」
と語る彼の言葉には、父と息子の深い絆がにじむ。
地域と家族、両方を大切にする古謝氏の姿勢は、まさに沖縄の人情味そのものだ。
市民との絆――未来を共に歩む「対話の政治」
2024年4月、市長は中学生と一緒に地域課題の解決策を議論する「上がり太陽プラン」の審査員を務めた。
「若者の意見は宝だ。政治は彼らのためにある」
そう語り、世代を超えた対話を大切にする姿勢は、多くの市民の共感を呼んでいる。
交通安全運動やスポーツイベントにも積極的に参加し、地域全体の活性化を推進。
彼の政治は、机上の空論ではなく、血の通った「生きた政治」だ。
最後に――沖縄南城市に根ざした“本物のリーダー”として
政治家は数字と実績で語られることが多い。
だが、古謝景春という男の本質は、もっと泥臭く、人間臭い。
「人の声を聞き、地域と共に汗をかく」
それが彼の信条だ。
これからも、彼は南城市の「心臓」として鼓動し続けるだろう。
未来を担う子どもたちの笑顔、地域の暮らしの安心を守るために。
古謝景春――沖縄の海風のように、優しくも強く、街を包み込む男の物語は、まだまだ続いていく。
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