2004年、彗星のごとく文壇に現れた金原ひとみ。20歳という若さで芥川賞を受賞した『蛇にピアス』の衝撃は、今も多くの人の記憶に焼きついているでしょう。
彼女の作品に漂う生々しさ、痛み、そして、どこか「居場所を探しているような焦燥感」は、決してフィクションの中だけの話ではありません。金原ひとみという作家の根底には、複雑で多層的な家族との関係が色濃く存在しています。
今回は、そんな彼女の家族について――結婚相手、子供、父親、母親、兄との関係に深く切り込み、リアルなエピソードも交えながらじっくり紐解いていきます。
◆ 国籍は韓国?噂の真相を徹底検証
ネット上では「金原ひとみ 韓国籍?」という検索がちらほら見られます。
これは彼女の名前の響きや、作風の過激さ、日本社会への批判的視点から、“外国人では?”という誤解が広がった可能性があります。
しかし、これは完全な誤情報です。
- 金原ひとみさんは東京都出身
- 両親ともに日本人
- 父・金原瑞人氏は日本の大学で教職歴を持つ日本国籍者
「金原」という姓も、珍しいものではあるものの日本に存在する名前です。
一部で見かける“在日説”には根拠がなく、本人も一度もそのような発言はしていません。
つまり、金原ひとみさんの国籍は日本。韓国との関係も特にないというのが事実です。
◆ 結婚相手:ワンオペ育児とすれ違いの果てに
金原ひとみさんは、芥川賞受賞の年である2004年、当時の編集者と結婚しました。20歳という若さで文壇の頂点に立ち、その勢いで結婚までたどり着いた彼女ですが、その後に待っていたのは、決して甘くはない現実でした。
夫は編集者という職業柄、非常に多忙で育児への参加は少なかったといいます。しかも「女親の方が育児は上手い」という無意識の刷り込みが、金原さんをさらに追い詰めていきました。
産後すぐにワンオペ育児の沼に落ちた彼女は、日々の中で次第に孤立していきます。夫との会話は次第に減り、理解し合えないもどかしさが積もる中、「家庭内で誰にも必要とされていない」と感じる瞬間が増えていったといいます。
やがて2011年、東日本大震災を機に、彼女は第二子の出産を控えて夫の実家がある岡山県へと避難します。そこから一転、家族でフランス・パリへ移住。6年間の生活を経て2018年に帰国するも、夫婦関係については「思いやりの欠如」が大きく亀裂を生んだと、後に語っています。
リアルな感情がそのまま作品に昇華されている点にも、こうした夫婦の軋轢が深く影を落としていることが感じられます。
◆ 子供たち:2人の娘と母としての闘い
金原さんには、2人の娘がいます。長女は2007年、次女は2011年に誕生しました。いずれも、彼女の作家人生と並走するように誕生し、育児と創作の狭間で苦悩した経験が色濃くにじみ出ています。
次女の出産前、東日本大震災が発生。東京に住んでいた彼女は、放射能の影響を懸念し、岡山県へ避難。慣れない土地での妊娠・出産というストレスの中、彼女は新たな命を迎えました。
その後、パリに家族で移住した6年間。娘たちと異国の地で過ごした日々は、彼女の人生観に大きな影響を与えたといいます。
「娘たちは、私にとって初めて“この世界に必要とされている”と感じられる存在だった」
そう語る金原さんは、創作とは別の意味で、自らのアイデンティティを支える存在として娘たちのことを大切にしています。現在、長女は高校生、次女は中学生になり、共に元気に育っています。
◆ 父親:翻訳家・金原瑞人との静かな“文芸の絆”
金原ひとみさんの父親は、翻訳家として知られる金原瑞人さん。法政大学で教鞭をとり、特に児童文学やヤングアダルト小説の翻訳で高い評価を受けている人物です。
幼少期のひとみさんは、学校になじめず、不登校に。中学もろくに通えず、高校も数日で辞めてしまったといいます。その頃、家庭でも父親との関係は「冷え切っていた」と本人が語っています。
「家で喋ったことはほとんどない。父は私のことを“放っておいていた”」
しかし、そんな父との関係性に少しずつ変化が現れたのは、中学3年生のとき。小説を書くことにのめり込む中で、彼女は父のゼミに参加し、創作について学ぶようになります。
ある日、父は娘にこう告げます。
「もっと恥ずかしいものを書け。親が地元を歩けなくなるくらいの作品を」
この言葉は、当時の彼女にとって強烈なエールとなりました。
「娘を救ったのは、小説だった。唯一の逃げ場だった」と語る父。お互い多くを語らずとも、文芸という共通言語で繋がっていたふたりの姿が、どこか切なく、あたたかい印象を残します。
◆ 母親:愛情と支配の境界線
金原さんの母親については、一般人のため詳細なプロフィールは不明ですが、本人の言葉から見えてくる人物像は「過保護で過干渉な母」です。
子どものころ、彼女は母に「学校に行きたくない」と何度も訴えたといいます。しかし、母はそれを受け入れず、無理やり登校させようとした。そのことで金原さんは、家庭にも学校にも居場所がないという感覚に苛まれるようになります。
「母のことは、ずっと苦手だった」
幼少期からリストカット、摂食障害、自殺願望――。そんな自己破壊衝動の裏には、「愛されていない」という深い孤独が潜んでいたのかもしれません。
やがて大人になり、自分自身が母になる中で、ようやく彼女は母親に対してある種の“諦め”を持つようになります。
「この人は、私とは違う種類の人間だ」と思うことで、ようやく自分の心を守ることができた。
母との距離感を掴むまでに、どれだけの葛藤と涙があったのでしょうか。その全てが、彼女の小説に濃密なリアリティを与えています。
◆ 兄:公に語られない、静かな支え
金原ひとみさんには、兄が一人います。あまり多くを語られていませんが、2011年の震災後に岡山に避難した際、娘2人と兄との5人で共同生活をしていたというエピソードがあります。
表立ったエピソードが少ない分、その関係性は静かで、しかし深く信頼に満ちたものであるようにも感じられます。家族の中で、彼女が最も感情的な波をぶつけなかった相手が兄だったのかもしれません。
◆ 結びに:家族という“逃げ場”であり“戦場”
金原ひとみさんの家族にまつわる話は、一見すると心が痛むような記憶の断片で構成されています。
けれど、そうした痛みの一つひとつが、彼女を“作家・金原ひとみ”へと押し上げたのです。
家族は、ときに逃げ場であり、ときに戦場。
そのリアルな矛盾を、彼女は作品に変え、読者の心を刺し続けています。
この家族の物語を知ることで、金原ひとみの小説をより深く、より切実に読み取ることができるはずです。
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