「バカ」「ハゲ」「3歳の頭しかない」
そんな言葉が、教室でもなく、SNSの陰湿な書き込みでもなく、部活動の“コーチ”から少女へと向けられていた。
東京都葛飾区の公立中学校で、20年以上にわたって女子ソフトボール部を指導してきた女性外部コーチによる暴言指導が、2024年春、明るみに出た。
この記事では、報道された事実に基づき、以下のポイントを徹底考察する:
- どんな暴言が繰り返されていたのか?
- なぜ謝罪も処分もないまま放置されたのか?
- そして…この“暴言コーチ”は誰なのか?
部活動という“教育の聖域”で、何が起きていたのか?
その闇に迫る。
第一章:20年以上続いた“無敵の存在”
― 指導者という名の絶対権力
この女性コーチは、2001年度からこの中学校に関わり続けている。
当初は「有償ボランティア」だったが、2022年度からは会計年度任用職員、つまり正式な非常勤公務員として、部活動指導の任務に就いた。
ここで重要なのは、彼女がただの「外部コーチ」ではないということ。
行政と契約を交わし、正式な報酬を受け取りながら、中学生の教育に携わっていたのだ。
そして何より――
20年以上も“顔”を張っている存在となれば、学校の先生以上に部活動の文化そのものに影響を与えていたことは想像に難くない。
部活が変わらない限り、彼女も変わらない。
誰も逆らえない空気が、そこにはあった。
第二章:スマホの中の暴言 ― LINEで届く“地獄のメッセージ”
問題の女子生徒が入部したのは2022年4月。
入部直後から、彼女のスマートフォンには、コーチから次のようなLINEメッセージが届くようになった。
「バカ」
「声が小さい。ハゲか」
「はあー(溜息スタンプ)」
学校から帰ってもなお、スマホの中にまで入り込んでくる“支配の声”。
LINEという私的な空間が、いつしか監視と罵倒のための通路になっていた。
ただの指導じゃない。
人格攻撃だった。
第三章:「帰れ」と言われ、「帰りません」と返した日
2023年11月――
少女が生徒として、最後に“声を上げた日”だった。
練習中、コーチから「帰れ」と言われた少女は、「帰りません」と反論した。
その瞬間、怒りが爆発した。
「親不孝者!」
「3歳の頭しかないな!」
その言葉は、グラウンドに響き渡り、他の部員の前でも容赦なく放たれた。
そして彼女はその日以降、約4カ月間、部活動への参加を認められなかった。
事実上の“謹慎”。
コーチに逆らった罰として、青春の時間を奪われたのだ。
第四章:夢をあきらめた少女、その選択が残す問い
彼女は本来、ソフトボールが大好きだった。
中学でも必死に練習を続け、「高校でもこの競技を続けよう」と強く思っていた。
けれど、心に残ったのは恐怖だった。
「高校でまたあのコーチに会ってしまうかもしれない」
「もう関わりたくない。でも、競技を続ける限り関係が切れない」
彼女が下した決断は、**「ソフトボール部のない高校への進学」**だった。
これは「進学」ではなく、「逃避」だ。
たったひとつの青春を、“コーチ”という存在に奪われた。
第五章:処分ゼロ。謝罪ナシ。なぜ彼女は守られたのか?
最大の疑問。それは――
なぜ、誰も謝らなかったのか?
報道によれば、学校も教育委員会も、正式な謝罪をしていない。
コーチ本人も、無言のまま。
そして何より、今もこの中学校で指導を続けているという現実。
校長のコメントは、こうだ。
「おおむね事実と認識している。2024年3月に“時代に合っていない指導”と注意し、その後は改善されたはず」
まるで、暴言が「ちょっと昭和なやり方だった」かのような軽さで処理されている。
違う。これは暴力だ。
人格否定であり、子どもの夢を潰した責任がある。
第六章:コーチは誰? 地元では“特定済み”の声も
さて――
最も多く検索され、最も気になっているであろうテーマが、これだ。
この暴言コーチは、いったい誰なのか?
報道では実名は伏せられているが、わかっている情報は以下のとおり:
- 2001年度から同じ中学校で指導を続けている女性
- ソフトボール部の外部コーチとして活動
- 2022年度からは会計年度任用職員として非常勤契約
- 40代の女性
- 今も在職中で指導継続中
これだけの情報がそろえば、地元関係者や卒業生の間では“あの人でしょ”と名が挙がっている可能性は極めて高い。
ネット上でも一部では“特定”が進んでいるという声もある。
ただし、個人情報保護の観点から、正式に名前が公表されることは現時点ではない。
しかし、我々が本当に知りたいのは「名前」ではなく、「責任」ではないか?
なぜその人物は、いまも子どもを教えているのか。
なぜその環境が、いまだに許されているのか。
終章:問い続けることが、次の犠牲者を救う
部活は、子どもにとって居場所であり、夢であり、誇りであるべきだ。
それが、大人の都合や暴言で破壊されるような場所になってはならない。
一人の少女が夢を捨てたことに、誰かが責任を取るべきではないのか?
この問題は、もう“過去の話”ではない。
今もそのコーチがグラウンドに立ち続けている限り、第二、第三の被害者は必ず出る。
だからこそ――
私たちは問い続ける必要がある。
「あのコーチは、今も子どもたちに何を教えているのか?」
「そして次の被害者は、もう出ていないのか?」
「本当にそれでいいのか?」
問い続けることが、何よりの抑止力になる。
そしてそれが、彼女のように夢を失った誰かの、ささやかな救いになることを、信じたい。
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