2025年6月18日──
日本映画界を静かに支え続けたひとりの名匠が、そのフィルムを終えました。
映画監督・栗山富夫(くりやま・とみお)さんが、悪性リンパ腫のため死去。享年84歳。
所属先の松竹が訃報を公表し、映画関係者やファンの間に深い衝撃と喪失感が広がっています。
「声高に語らず、静かに映画と向き合い続けた」
その姿勢がにじみ出るかのように、葬儀はご家族だけでの家族葬にて執り行われるとのこと。
供物・香典なども辞退されており、まさに栗山監督らしい、控えめで温かい幕引きとなりました。
🩺 死因は?──最後まで闘病を語らなかった栗山監督
訃報を伝えた松竹の発表によると、死因は「悪性リンパ腫」。
これは血液のがんの一種で、リンパ球が異常に増殖することで全身に影響を及ぼす病です。
近年は高齢者に多く見られる疾患でもあり、治療の長期化・再発も珍しくありません。
しかし、栗山監督は生前、病をメディアに語ることは一切ありませんでした。
「作品がすべて」という姿勢を貫いた彼らしく、病気さえも“裏方”として扱い、表には出さなかったのでしょう。
静かに、しかし確実に進行する病と向き合いながら、彼は最後まで「語らずして伝える」映画人の美学を保ち続けたのです。
📖 生い立ちと学歴──自然と知性に育まれた青年期
1941年2月20日生まれ。
故郷は茨城県鹿島郡旭村(現・鉾田市)。自然に囲まれたのどかな環境で育ちました。
高校は茨城県立鉾田第一高等学校へ進学。
その後、進学先に選んだのが東京の国際基督教大学(ICU)社会科学科。
当時としては珍しく、「国際性」と「リベラルアーツ教育」を重視するICUで学んだことが、
後の栗山監督の映画に見られる“社会性”や“人間を立体的に描く眼差し”に通じていたことは、想像に難くありません。
🎥 松竹入社から18年──助監督として磨かれた現場力
大学卒業後の1965年、栗山さんは老舗映画会社・松竹に入社。
そこから実に18年、助監督として現場に身を置き、映画の基礎と空気を徹底的に学びました。
誰かに認められるまで、長い下積みの時代。
しかしこの時期こそ、演出の呼吸感、役者との対話、編集リズムなど、栗山作品に欠かせない「間合い」が培われた時期でもあります。
🎬 1983年、ついに監督デビュー──『いとしのラハイナ』
長い助監督生活を経て、1983年に**『いとしのラハイナ』**で念願の監督デビュー。
ハワイを舞台にしたこの人間ドラマで、風景と心情をシンクロさせる演出手法が高く評価されます。
このデビュー作からすでに、「派手ではないけれど、じんわりと染み入る栗山調」が光っていました。
🏆 『祝辞』で芸術選奨文部大臣新人賞を受賞──「日常をドラマにする力」
1985年に発表した『祝辞』で、芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。
この映画は、結婚式の“祝辞”という日常的な題材を通して、人生の節目とその裏にある人間模様を描き出しました。
なにげない日常を、感動的なドラマへと昇華させる。
栗山監督の**“静かな感動”**は、この頃すでに完成していたのです。
🐟 『釣りバカ日誌』──国民的人気シリーズを支えた立役者
そして、1988年にスタートした『釣りバカ日誌』。
栗山監督はその第1作から第11作までを手がけ、シリーズの礎を築いた中心人物です。
主演の西田敏行さんと三國連太郎さんによる絶妙なコンビネーション。
笑いの中に、家庭のこと、仕事のこと、老いのこと…。“笑って泣ける”を自然体で描く栗山節が、見事に炸裂しました。
ハマちゃんとスーさんのやり取りには、現代社会へのユーモアと人間への優しさがたっぷり詰まっていました。
🏠 後年も“人間ドラマ”にこだわり続けた名匠
2000年代以降の代表作としては、
- 『ホーム・スイートホーム』(2000)
- 『ホーム・スイートホーム2 ~日傘の来た道~』(2001)
- 『ふうけもん』(2014)
などがあります。
いずれも家族、老い、地方、孤独といったテーマを、栗山監督独特のあたたかな眼差しで見つめ直した作品。
エンタメでありながら社会派。重すぎず、でも決して軽くもない。
そんな“ちょうどいい温度”の映画を、彼は最後まで作り続けました。
🔒 プライベートは謎のまま──語らず、映像で語った人生
意外なことに、栗山監督の結婚歴・配偶者・子どもに関する情報は一切明かされていません。
一部関係者によると、ごく親しい身内だけで静かに私生活を送っていたそうです。
これは、きっと彼の信念だったのでしょう。
「映画で人の人生を描く者が、自分を語りすぎてはいけない」
そんな不文律を、自ら守り抜いたようにも思えます。
🕊️ 栗山富夫という“語らぬ語り手”へ、ありがとう
華やかな演出も、大げさな演技もなく、ただ静かに、人と人との「間(ま)」を切り取ってきた栗山監督。
その手がけた作品は、どれもが**“人生の機微”を感じさせる珠玉の小品**でした。
今、誰かが疲れた夜に『釣りバカ日誌』を見て、ふっと肩の力が抜けたなら。
あるいは『ふうけもん』で、家族と向き合う時間が少しだけ丁寧になったなら。
それは、栗山富夫という映画監督が、いまだ私たちと一緒に生きている証なのです。
栗山監督、心からご冥福をお祈りいたします。
そして、ありがとうございました。あなたの映画は、これからも誰かの人生をそっと照らし続けます。
📺 栗山富夫監督作品を見るなら:
『釣りバカ日誌』『祝辞』『ふうけもん』など、DVDや配信サービスで現在も視聴可能。
感情を揺さぶらずして心に残る、そんな栗山作品を、この機会に改めて味わってみてはいかがでしょうか。
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