まるで、静かにシャッターが切れるような別れでした。
“自撮りおばあちゃん”として一世を風靡した写真家・西本喜美子さんが、2025年6月9日、97歳で永眠されました。
「えっ、あの元気な“おばあちゃん”が……?」
訃報を知った人たちの多くが、信じられない思いで彼女のInstagramを開きました。そこには、5月末に投稿された、いつも通りお茶目な一枚——葉っぱを口にくわえ、「しばらく入院してみます」と添えられた言葉が最後になっていました。
■ 死因は明かされず…でも、そこに“らしさ”があった
ご家族の発表によると、西本さんは**「病気療養中のところ」**6月9日に息を引き取ったとのこと。死因についての詳細は明かされていません。
けれど彼女は、最期のInstagram投稿で「しばらく入院してみます」と、まるで“気まぐれなお出かけ”のように綴っています。その軽やかさに、多くの人がクスッと笑い、そして今、涙しています。
推察されるのは、**高齢による体力低下や加齢性の疾患(肺炎、心不全など)**の可能性。
それでも、最期まで“笑いを届ける”ことを選んだ彼女の姿勢は、まさに“西本喜美子らしさ”にあふれていました。
■ 72歳から始まった“第三の人生”
西本喜美子さんプロフィール
- 名前:西本 喜美子(にしもと きみこ)
- 生年:1928年、ブラジル・サンパウロ生まれ
- 育ち:幼少期に熊本へ帰国
- 経歴:美容師 → 女子競輪選手 → 専業主婦 → 写真家(72歳〜)
10代で美容師となり、20代にはなんと競輪選手として全国を駆け回る日々。結婚と出産を経て、しばらくは家庭に専念していたものの、70代にして人生は大きくカーブを切りました。
きっかけは、長男・西本和民さんが開いていた写真教室「遊美塾」。ここでカメラを手にした瞬間から、彼女の“第三の人生”がスタートします。
■ 「自撮り」で、笑いと勇気を届けた
彼女が一躍有名になったのは、**自虐的で大胆な“自撮り写真”**の数々。
ゴミ袋をかぶって“ゴミの日”を表現したり、車に轢かれたような姿で寝そべったり——。
でも、ただふざけているだけではありません。その奥には「年齢を笑い飛ばして生きる力」が込められていました。
「老いを怖がるのではなく、面白がればいい」
「自分のことを、もっと笑ってあげてもいいじゃない」
そんなメッセージが、写真からも言葉からもにじみ出ていました。
Instagramでは38万人以上のフォロワーを獲得。
82歳で県立美術館での個展開催、88歳での著書出版……年齢なんて、彼女にとってはただの“ネタ”だったのかもしれません。
■ 家族構成:母と息子、人生最後の“共犯者”
西本さんには3人の子どもがいますが、彼女の写真活動を最も支えたのは長男・西本和民さん。
元広告ディレクターとして東京で活躍していた和民さんは、地元・熊本に戻り写真教室「遊美塾」をスタート。母・喜美子さんを誘ったのが、すべての始まりでした。
二人三脚での創作活動はまさに“親子クリエイティブ”。
撮影、編集、投稿、展示、出版……すべての裏側には、この“親子の信頼関係”がありました。
夫を早くに亡くした後も、息子や孫に囲まれながら、喜美子さんは穏やかで豊かな晩年を送っていたといいます。
■ SNSを超えた、“生き方のインフルエンサー”
喜美子さんが届けていたのは、単なる“おもしろ写真”ではありません。
そこにあったのは、年齢に縛られず、表現し、笑い、人生を面白がる姿勢でした。
「年をとるのが怖くなくなった」
「この人がいるから、まだ大丈夫だと思えた」
そんな言葉が、コメント欄にはあふれていました。
彼女のSNSは、“高齢者”や“写真好き”に向けたものではなく、生きづらさを感じているすべての人たちの心をほどく場所だったのです。
■ 息子からのメッセージ、そして感謝
訃報の投稿には、長男・和民さんの心からの言葉が綴られていました。
「母は常に笑顔で作品づくりを楽しんでおりました。
多くの方々との出会いが、母の第三の人生を豊かなものにしてくれました」
「25年間の写真人生でした。誠にありがとうございました」
25年。
それは、世間的には“老後”と呼ばれる期間かもしれません。
でも喜美子さんにとっては、“最も自分らしく輝いた時間”でした。
■ ありがとう、そして、またどこかで
西本喜美子さん。
あなたが教えてくれたのは、「自分をおもしろがることの大切さ」でした。
どんな年齢でも、どんな人生でも、笑いと表現は人を生かしてくれる——そのことを、私たちはあなたの作品から学びました。
天国でも、カメラを片手に、
「今日は空を撮ってみた」なんて言いながら、くすっと笑ってくれている気がします。
どうか、安らかに。
そして、ありがとう。
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