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給食ウズラの卵で死亡はなぜ?父親は誰??

2023年、福岡県みやま市で起きた、あまりに痛ましい小学校給食事故。
――ウズラの卵が喉に詰まり、小学1年生の男の子(当時7歳)が命を落としたというこの事件を、あなたは覚えていますか?

そして1年3カ月後の2025年6月、男の子の父親が市を相手取り6000万円の損害賠償を求めて提訴。このニュースは再び、大きな波紋を呼びました。

ネット上では今、ある疑問が静かに、しかし確実に広がっています。

「この父親って、誰なの?」

しかし――どのニュースを見ても、氏名は出てこない。顔も、職業も、年齢さえわからない。
まるで、影の中に佇むように報道から“切り取られている”のです。

なぜ名前が出ないのか? それって不自然じゃない?
本記事では、この疑問にズバリ切り込み、背景にある「報道のルール」と「人としての配慮」、そして社会のまなざしについて深掘りしていきます。


目次

◆ まず事実をおさらい:何が起きたのか?

2023年2月、福岡県みやま市内の小学校。
給食で提供された「みそおでん」に入っていたウズラの卵。それが喉に詰まり、当時小学1年生だった男の子が命を落としました。

事故当時の給食の写真も公開されていますが、ごく普通の献立。誰もが一度は食べたことのあるようなメニューだったことで、「なぜこんなことで?」という戸惑いが、社会全体に広がりました。

事故後、父親は次のように語っています。

「とにかく、息子を返してほしい。ただ、それだけなんです」

その一言には、悲しみと、悔しさと、怒りと、どうにもならない現実への絶望が、すべて凝縮されていました。


◆ 裁判へ踏み切った父親――けれど、その「名前」はどこにもない

6月6日。父親はついに市を提訴しました。
文部科学省のガイドラインでは「丸くてつるつるした食材は喉に詰まりやすい」と注意喚起されていたにも関わらず、学校はそれを理解し指導する体制が整っていなかった。
「担任の発見も遅れた」「校長の注意喚起もなかった」と訴えています。

にもかかわらず――報道では、彼の名前は一切出てこない。

ここで多くの人が首をかしげたのではないでしょうか?
だって、裁判って公開の場でしょう?
訴状には氏名が載っているはず。なのに、なぜ報道はそれを伏せるのか?


◆ 氏名非公表の“リアルな理由”とは?

実は、この「報じない」という選択には、ちゃんとした理由があります。

① 遺族のプライバシー保護

一番大きな理由がこれです。
特に子どもが被害者となったケースでは、親も“当事者”でありながら、深く傷ついた被害者です。

名前が公になることで、メディアやネットからの過剰な取材、あるいは心ない誹謗中傷が起こるリスクが高まります。実際、過去には「なぜ親は気づかなかったのか」「そもそも訴えるのは違う」といった声がネット上で拡散されたケースもありました。

だからこそ報道機関は、あえて名前を出さないという判断をしているのです。

② 子どもの特定を防ぐため

仮に父親の名前が出れば、亡くなった子どもの名前も特定されやすくなります。
特に地方のコミュニティでは、「〇〇さんの子ども」だけで誰かが特定されてしまうことも少なくありません。

子どもの尊厳を守るという意味でも、親の名前を伏せることは一つの防波堤なのです。

③ 法的に「出さなければならない」わけではない

民事訴訟では、基本的に訴状は公開されます。ただし、報道機関がそれを「報じるかどうか」は別問題。
特に人権的な配慮が必要な事件では、メディア各社が独自に報道ガイドラインを設けているため、名前を伏せることはごく一般的です。


◆「名前を出すべきだ」という声も…でも、それって本当に必要?

ネットを覗けば、一部ではこういった意見も見かけます。

「名前を出して堂々と訴えるべきじゃないか」
「正義を訴えるのに、なぜ匿名なんだ?」

一見、筋の通った主張にも見えます。でも――それは当事者の痛みを知らない立場からの発言ではないでしょうか?

「名前を出さない=卑怯」ではなく、「名前を出さない=守るべき何かがある」という現実。
それがわからなければ、本当の意味でこの事件の“教訓”にはたどり着けません。


◆ 彼の正体よりも、本当に問うべきことは何か?

「この父親は誰か?」という問いの奥には、
「誰が悪かったのか?」「どこに責任があるのか?」というもっと根深い社会的な問題が横たわっています。

学校現場の安全管理はどうなっているのか?
教職員の危機管理能力は十分なのか?
自治体や教育委員会の対応に不備はなかったのか?

それらを正しく問うためにも、報道はあくまで冷静に、そして慎重でなければならない。
そうでなければ、悲しみの中にある遺族を、さらに追い込むことになってしまうのです。


◆ 結論:名前は出ていなくても、「声」はしっかり届いている

彼の名前がわからなくても、
その言葉の重みと、涙の意味は、私たちの胸にまっすぐ届いています。

「息子を返してくれ――ただ、それだけなんです」

匿名でも、その叫びが“本物”であることに、何の疑いもないはずです。
私たちが今向き合うべきは、「誰が言ったか」ではなく「何が起きたか」、そして「どうすれば二度と繰り返さないか」。

それこそが、彼の願いであり、社会全体の責任でもあるのです。


【編集後記】

この事件を取材しながら感じたのは、「名前の有無」よりも「声の重み」の大切さ。
エンタメニュースを届ける私たちにできるのは、事件の向こう側にある“人間のリアル”を伝えることだと改めて実感しました。

「名前が出ない」ことが意味するもの。
それは、メディアと社会、そしてあなた自身が試されているということかもしれません。

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