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押田矩子と榑林亜樹也の関係は?匿った理由はなぜ?

それは、ただの事故ではなかった。
ただの無免許運転でもなかった。
ただの“かくまい”でも、なかった。

静岡県浜松市で起きた、ある衝撃的な交通事故。
乗用車がガードレールを突き破って東名高速道路上へ約10メートルも転落。車には2人の子どもが乗っていた。

奇跡的に命に別状はなかった——が、
運転していた大人の男は、その場から 子どもを置き去りにして逃走

そして、その男をかくまっていたのが、34歳の女。しかも警察の見立てでは、2人は恋人同士。そして、子どもたちは彼女の実の子である可能性が高い。

世間はざわついた。

「なんでそんな男を助けるの?」
「母親としてどうかしてる」
「理解不能、信じられない」

けれど——もしかしたら、この事件は、どこにでもある人間関係の“落とし穴”だったのかもしれない。
一歩踏み間違えれば、誰だって陥る可能性のある“心理の罠”だったのかもしれない。


目次

◆ 序章:10メートルの落下と、心の崩壊

2025年6月1日午後、浜松市中央区の市道で、乗用車が柵を突き破り、なんと東名高速道路上に落下。
高さはおよそ10メートル。

普通なら「即死」でもおかしくない高さ。だが、その車には8歳と7歳のきょうだいが乗っていて、幸いにも命に別状はなかった。

しかし、問題はその直後から始まる。

運転していた男——榑林亜樹也容疑者(47)は、無免許
それだけでなく、事故後に車と子どもを現場に置いて、逃げた。そのまま市内のどこかに姿をくらませた。

そして翌日。警察が発見したのは、彼をかくまっていた女の存在だった。


◆ 登場人物の背景:崩れかけた日常の中で

榑林容疑者は47歳。職業は「無職」。定職に就かず、免許もなく、家族も不明。
押田矩子容疑者(34)も無職。浜松市内に住み、2人の子どもを育てていたと見られる。

そう、あの事故で放置された子どもたちは、押田容疑者の子どもだった可能性が高い。

想像してほしい。

● 車が転落した
● 子どもたちは置き去りにされた
● 警察はすぐに「誰が運転していたのか」を追っていた
● その間、母親である押田容疑者は男を“かくまった”

この数時間〜1日という時間の中に、何があったのか。
感情の爆発、混乱、絶望、言い訳、自責、そして——決断。


◆ なぜ、かくまったのか?4つの“心理の断層”

本題に入ろう。

「なぜ彼女は、逃げた男をかくまったのか?」

ここには単なる犯罪協力とは違う、“人間の感情の綾(あや)”がある。以下、4つの視点から掘り下げてみよう。


① 恋愛感情と“思考停止”

まず、警察の見立てでは2人は交際関係にあった。いわば“恋人同士”。

人は恋に落ちると、相手の罪や欠点さえ「愛の証拠」にすり替えてしまうことがある。
特に「私がいなきゃこの人はダメになる」と感じた瞬間、人は思考を止める。

実際、恋愛中の脳は“報酬系”が活性化しており、危険察知能力や倫理判断が鈍るという研究結果もある。

彼が逃げ込んできたとき、彼女はきっとこう思ったはずだ。

「とりあえず今は、隠してあげよう。あとでなんとかなる」
「警察に捕まったら…私たち、もう終わりだ」

その“とりあえず”が、法に触れた。


② 母としての葛藤

忘れてはいけないのは——子どもが巻き込まれていること。

押田容疑者は母親だ。自分の子どもが危険な目に遭った。それなのに、逃げた男を守った。
「母親失格」と切り捨てるのは簡単だ。

でも、母親であることと女であることは、時に両立しない。

  • 子どもを守らなければという責任感
  • でも、自分を支えてくれた男への情もある
  • 「この人がいなくなったら、私たちは生活していけるのか」
  • 「この人が捕まれば、私はひとりになる」

そんな葛藤が、一晩で押し寄せたとしても不思議ではない。


③ 社会的孤立と“心理的鎖”

押田容疑者もまた、無職で孤立した立場にあった。
家族の支援があったかどうかも不明。経済的にも精神的にも、頼れる人が限られていた可能性は高い。

そんな中での恋人——つまり、“最後の味方”だったのかもしれない。

孤独な人間は、「関係性」を守るために常識や倫理を捨てやすくなる。
そしてその“関係性”が壊れた瞬間、自分の存在も崩れるような錯覚に襲われる。


④ “共依存”という地獄

おそらく2人の関係には、共依存的な力学があった。

共依存とは——

  • 相手の問題行動に巻き込まれながらも関係を続ける
  • 相手を救おうとすることで、自分の存在価値を感じる
  • 離れられない。壊せない。だけど苦しい

彼女はもしかすると、「この人を見捨てたら、自分のすべてが終わる」と思っていたのかもしれない。
実際、そう感じる女性は少なくない。
そして、犯罪という一線すら超えてしまうのだ。


◆ 「逃げたのは誰か」——本当に逃げたのは…

今回の事故で“逃げた”のは榑林容疑者だ。

だが、もう一人、“心の中で逃げた”人がいる。それが、押田容疑者だ。

現実から、責任から、親としての決断から、
目を背け、見たくないものにフタをして——ただ、“関係”を守るために。

そして、その結果、子どもたちは10メートル下に放り出された車の中で放置された。


◆ まとめ:崩れたのは、家族だった

この事件は単なる交通事故や逃亡劇ではない。
崩れたのは、法律でもなくモラルでもなく——ひとつの家族の形だった。

どこかで軋み、どこかで腐り、でも「なんとかなる」と思い込んでいた日々の中で、
1台の車が落ち、関係も壊れ、子どもだけが置き去りにされた。

でも、こうした崩壊は“特別な誰か”にだけ起きるわけじゃない。
不安定な日常、孤独な心、頼る人のいない環境。
ほんの一つの「決断ミス」が、連鎖を生む。


母として、女として、そして人として。
彼女が守ろうとしたのは何だったのか?
そして、何を失ったのか?

警察の取り調べが進む今、明らかになっていく真実に、私たちは目を背けてはいけない。

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