「娘に会いたかっただけなのに──」
その“願い”が引き起こしたのは、あまりに痛ましい凶行だった。
佐賀市の静かな町で起きたこの事件は、家庭、福祉、支援のあり方に深い問いを投げかけている。
母はなぜ職員を襲ったのか?
家族はどのように崩れていったのか?
そして、わずか2歳の娘の心に何が刻まれたのか──。
■ 事件の概要:誕生日が血に染まった日
2025年5月31日夕方、佐賀市金立町の児童福祉施設で事件は起きた。
「刃物を持った女が暴れている」との通報を受けて警察が駆けつけた時、職員・川原千恵さん(55)はすでに意識を失っていた。
川原さんは複数箇所を切られ、病院に運ばれたが出血性ショックで死亡。
犯行に及んだのは、佐賀県武雄市在住の会社員・平田ミル容疑者(28)。
彼女は、施設に保護されていた娘(2歳)と面会するために来ていたという。
母親として、ただ娘に会いたかった──
その動機は一見「親の愛情」のようにも聞こえるが、裏には家庭の限界と制度の綻びが隠れていた。
■ 家族構成:小さな3人家族にのしかかる重圧
事件当時の平田容疑者の家族構成は、以下の通りとされています。
- 平田ミル容疑者(母・28歳)
- 夫(年齢非公表・会社員)
- 娘(2歳)
3人暮らしの核家族。外から見ればごく普通の若い家庭だが、その内側では限界が静かに広がっていた。
平田容疑者は、**パニック障害や躁うつ病(双極性障害)**の診断を受け、精神的に不安定な状態にあった。
それを支えていたのが夫──1人で妻のケアと幼い子の育児、生活を背負っていたのだ。
■ 娘──「守られるべき存在」だった2歳の幼子
事件から遡ること約3週間、娘は児童相談所によって一時保護されていた。
理由は、母親による暴言や精神的な不安定さ。
そして保護の翌日、平田容疑者は児童相談所で感情を爆発させる。
「返さなきゃ死ぬ」と叫び、消毒液を飲む、自傷行為に及ぶなどの行動があった。警察が一時的に保護する事態となった。
しかし佐賀県は、その後の判断で措置入院の必要はないとし、容疑者を夫に引き渡す。
娘は引き続き施設で保護され、誕生日を迎えた。
その日、母は「少しの面会時間」を得て、施設を訪れた──
そして、悲劇が起きた。
現在も娘は児童福祉の保護下にあると見られており、心理的支援や環境調整の継続的ケアが必須だ。
■ 夫──「もっと支えられたかもしれない」と涙した人
事件のあと、容疑者の夫は報道陣の前で静かに涙した。
「もっと、うまく妻をサポートできていれば…」
「被害者の方にも本当に申し訳ない」
彼は当日、仕事を終えた午後に妻から電話を受けていた。
「娘の誕生日だから、会いに行く」
しかし仕事が終わるのが午後5時。「時間に間に合わない」と答えた。
その後も妻から「施設に着いたよ」と連絡が入り、児童相談所からも「短時間だけ面会させる」と言われたため、バイクで現地に急行。
その途中で受けたのが、警察からの一本の電話だった。
「奥さんが、職員を切りつけました」──
● 職業と人物像
報道では職業は明らかにされていないが、「午後5時まで勤務」「バイクで移動」といった点から、交代制や現場仕事系(工場、飲食、配送業など)の可能性が高いと推察される。
家計を支え、妻の精神的不安定さに寄り添いながら、2歳の子を育てる──
そのプレッシャーと孤独は想像を超える。
彼は“何もしてこなかった”のではなく、“すべてを背負っていた”人だったのだ。
■ 事件の核心:これは「支援不足」という名の連鎖だ
誰もが一見、「母親が突然狂った事件」と見るかもしれない。
しかし、見えてくるのは「支援の不足」「家族への過負荷」「制度の限界」の連鎖だ。
- 精神的に不安定な母親に、措置入院という最後の安全弁が使われなかった
- 保護された子に対し、面会許可の判断が甘すぎた
- 支援者不在の夫に、社会的なヘルプや介入は皆無だった
この事件は、加害者の病状だけで語れるものではない。
誰かの「見えない悲鳴」が、現実に人の命を奪ったのだ。
■ 最後に:子どもに残された未来のために
2歳の娘は、母の犯行も、父の涙も、まだ正しく理解できない。
けれど、その心には確実に“何か”が刻まれた。
母は、病と現実の中で限界を超えてしまった。
父は、誰よりも家族を背負っていたが、支えきれなかった。
そして、命を落とした川原千恵さんには何の落ち度もない。
この事件は、家族だけの問題ではない。
社会が見逃し、手を差し伸べられなかった**“家庭の叫び”**の成れの果てだ。
いま問うべきは、「加害者をどう裁くか」ではなく、
**「この家庭を、私たちはなぜ守れなかったのか」**ではないだろうか。
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