お笑いファンならずとも一度は聞いたことがあるコンビ「ツートライブ」。彼らの軽快なトークと絶妙な間合いは、何度も繰り返し観たくなる中毒性がありますよね。でも、その笑いの源泉はどこにあるのか?どうやって彼らは芸人の道を歩み始めたのか?
今回は、ツートライブのたかのりさんと周平魂さん、幼少期から兵庫県立大学での出会い、そして芸人としてのスタートまでを徹底解剖。リアルな感情と葛藤を織り交ぜつつ、彼らの“学びの軌跡”をたっぷり紹介します。
1. 大阪・城東区で育った2つの個性――たかのりと周平魂、幼少期の素顔
たかのり:クラスのムードメーカーが生んだ“笑いの芽”
大阪市城東区。そこに住む少年たかのりは、小学生の頃からクラスの人気者でした。友達を笑わせることが何より好きで、先生のモノマネで授業を盛り上げたり、運動会では独自のボケを炸裂させていたと言います。
「いつも笑いを取って、自分も楽しくなる。それが僕の原点」と本人も語るように、彼の中にあった“笑いの芽”は早くから芽吹いていました。
中学校は大阪市立成育中学校(推測)。ここでは演劇部に所属し、表現力と舞台での存在感を磨きます。漫才のネタ作りも友達と盛んに行い、「この頃からお笑いが自分の居場所になっていった」とのこと。
高校は大阪府立旭高校(推測)へ。自由な校風で文化祭の舞台で漫才披露など、笑いに没頭できる環境に身を置いたことで、夢に向けた意識が強くなっていきました。
周平魂:繊細で多彩な感性を育んだ日々
一方の周平魂も、同じ大阪・城東区で育ちましたが、その性格は少し異なりました。小学校は大阪市立中浜小学校(推測)。彼は絵を描いたり映画を観るのが好きで、内向的で繊細な少年でした。
中学校は大阪市立蒲生中学校(推測)で演劇部に所属し、主役も務めるほどの表現力を発揮。高校は大阪府立東高等学校(推測)で演劇部とテレビ放送部に所属し、映像制作にも挑戦。
「僕は感受性が強くて、人前に出るのは正直怖かった。でも表現したい気持ちが強くて、舞台は自分の世界を広げる場所だった」と周平魂さん。
2人は育った場所も違えば、笑いに向かうアプローチも違いましたが、根底にある“人を笑わせたい”気持ちは共通していました。
2. 運命の出会い――兵庫県立大学で夢が動き出す
大学は、たかのりさんも周平魂さんも兵庫県立大学へ進学。そこで同じ学科の同級生として出会います。
初めてのキャンパス生活で、2人はすぐにお互いの笑いのセンスを感じ取りました。「すぐ意気投合したね。何気ない会話がネタになったり、いつの間にかコンビを組んでた」とたかのりさん。
大学2年生のとき、まだ「ハッピーエンド」というコンビ名で挑戦したM-1グランプリ。初の大舞台で2回戦まで進出したことで、2人の意識は一気に変わりました。
「M-1の舞台に立ったときの緊張と達成感は今でも忘れられない。芸人になる夢が鮮明になった瞬間だった」と周平魂さん。
この経験が二人を本気の芸人への道に押し出しました。
3. 芸人養成所NSC――厳しいけれど輝く毎日
大学卒業後、たかのりと周平魂は吉本興業の養成所「NSC」に入所。ここは数多くの芸人志望者が集まる厳しい世界です。
NSCにはクラス分けがあり、上位5組しか入れない“Aクラス”に2人が揃って所属。これは周囲からも注目される実力の証でした。
練習は容赦なく厳しく、毎日が挑戦の連続。しかし、同じ夢を追う仲間と切磋琢磨する日々は、苦しくも楽しい青春の時間でした。
「悔しい思いもしたし、自分の弱さも見つめ直した。でも、そこで成長できた。笑いのセンスもコンビの絆も、間違いなくこの時期に磨かれた」とたかのり。
4. 二人の個性が織りなす“ツートライブ”の笑い
たかのりの明るく前に出るタイプ、周平魂の繊細で芸術的な感性。対照的な二人が、ツートライブというユニットで見事に化学反応を起こします。
「たかのりの勢いに僕がツッコむ感じが自然。お互いの良さを引き出してるんだと思う」と周平魂。
「彼の繊細さがあるからこそ、僕も思い切りボケられる。相手がいるから笑いが生まれる」とたかのり。
2人の違いが強みとなり、今の絶妙な掛け合いが完成したのです。
5. まとめ――夢と挑戦、そして絆が育んだ笑いの原点
幼少期から高校時代、それぞれの環境で育まれた個性と感性。兵庫県立大学での運命的な出会い、大学2年生でのM-1挑戦、そしてNSCでの激しい競争。
この一連の学びと挑戦があってこそ、今のツートライブがあります。
お笑いという厳しい世界で輝く彼らの姿は、努力と友情が織りなす物語そのもの。
これからもたかのりと周平魂が作り出す“笑いの世界”に、目が離せません。
コメント