ただ泣いていただけだった。
それだけで、粘着テープで縛られ、食事を奪われ、命の危機に陥った3歳の男の子。一体なぜ、ここまでの事態になったのか。
実の母と祖父が語った“言い訳”は、想像を超える冷たさだった――。
◆ 発覚したのは「ただの病気」ではなかった
事件が公に明らかになったのは、今年1月20日。
広島市の病院に、1人の男の子が運び込まれた。ぐったりとして、意識ももうろう。
診断は「低酸素脳症」──生命の危機すらある深刻な状態だった。
しかし、医師が異変に気づく。
体重はわずか約6キロ。3歳児の平均の半分以下。
「これは病気ではない。飢えさせられていたのではないか?」
そこから、衝撃の真相が次々と明らかになっていく。
◆ 犯人は実の“母親”と“祖父”だった
逮捕されたのは、男児の母親・熊谷瞳容疑者(26)と、その父親・熊谷和弘容疑者(52)。
親子でありながら、3歳の子どもをテープで縛り、満足な食事も与えず、医療にも連れていかないという恐ろしい虐待を重ねていた。
2人は容疑を認めており、供述も驚くべき内容だった。
「食べさせようとしたけど、食べないことがあった」
「夜中にうるさかったから、テープで縛った」
まるで“仕方のないしつけ”かのように語る2人。しかし、その結果、子どもは意識不明で入院、約2カ月の治療を受けることとなった。
◆ 粘着テープでの緊縛、複数回の虐待
実はこの2人、すでに別件で起訴されている最中だった。
昨年9月と10月にも、男児が騒いだことを理由に粘着テープで手足を縛っていたことが発覚。
現在、広島地裁でその公判が進行中だ。
検察側はこう述べている。
「祖父宅に転居した後、男児が夜中に泣いたり、壁を叩いたりするようになった。
それに対し、2人は“しつけ”の名のもとに虐待行為を繰り返した」
普通の子どもの反応を、“騒音”や“迷惑行為”として処理しようとしたその感覚は、どこか壊れている。
◆ 【プロフィール】容疑者2人の素顔とは?
● 熊谷 瞳(くまがい・ひとみ)
- 年齢:26歳
- 職業:無職とみられる
- 関係性:被害男児の母
- 同居人:未就学児3人(全員が彼女の子)
- 住所:広島市南区宇品海岸3丁目(父の実家に転居)
- 供述:「子どもが言うことを聞かなかった」などと説明
● 熊谷 和弘(くまがい・かずひろ)
- 年齢:52歳
- 職業:報道では不明
- 関係性:男児の祖父(瞳容疑者の父)
- 同居人:娘とその3人の子どもたち
- 住所:同上
- 供述:「うるさかったので縛った」などと述べている
※SNSアカウント等の公開情報は現時点では確認されていません。
◆ なぜ行政の手が届かなかったのか?
この家庭には、本来ならば行政支援が入っていてもおかしくなかった。
- 未婚・シングルマザー
- 未就学児が3人
- 経済的に困窮した状況
- 転居直後で地域の支援網と接点なし
にもかかわらず、家庭の様子が把握されることはなかった。
児童相談所や保健師による訪問もなかったとみられている。
つまり、「誰からも見られていなかった家庭」。
その中で、子どもが助けを求める術はなかった。
◆ 男の子は今…どうなっているのか?
報道によれば、3歳の男の子は現在、回復傾向にあるという。
意識を取り戻し、入院生活も終えたとの情報もあるが、身体や脳への影響、心理的なトラウマは計り知れない。
3歳にして、“愛されなかった記憶”だけを刻まれてしまった彼の人生。
誰が責任を取り、どう支えるのか。これからの課題は山積している。
◆ “育児疲れ”は免罪符にはならない
確かに、子育ては大変だ。
特にワンオペで未就学児3人を抱えれば、精神的・経済的に追い詰められても不思議ではない。
でも──
だからといって、テープで縛ることを「仕方なかった」と言っていいはずがない。
食事を与えず、病院にも連れて行かず、命を危険にさらしていい理由にはならない。
社会は「育児の限界」を理解し、支援の手を差し伸べるべきだ。
だが、限界を超えて“暴力”に転じた時点で、それはもう支援ではなく司法の領域だ。
◆ この事件から、私たちは何を学ぶべきか?
この3歳の男の子が声をあげることはなかった。
けれど、その沈黙の中には、たくさんの「助けて」が隠れていたはずだ。
私たちが学ぶべきことはこうだ:
- 子どもの異変には、近所でも、保育の場でも、誰かが気づけるようにすること
- シングルマザーや育児困難な家庭を、行政だけでなく地域全体で見守る視点を持つこと
- 「泣いてる子どもはうるさい」じゃなく、「何かあるかもしれない」と思うこと
◆ 最後に
子どもを守るのは、親だけじゃない。
社会全体が“育てる覚悟”を持たなければ、同じ悲劇は繰り返される。
今回の事件は、3歳という小さな命が、たった数ヶ月で餓死寸前に追い込まれることもある現実を私たちに突きつけた。
そして、それが“どこにでもある家庭”の中で起きたという事実を、忘れてはいけない。
コメント